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佐伯区湯来町伏谷の西光寺に1956(昭和31)年建立された「(砂谷村)慰霊碑」です。 |
正面: |
昭和三十一年九月三十日
慰霊碑
龍谷勧学文学博士 大江淳誠 |
裏面: |
(なし) |
台座正面: |
戦争犠牲者氏名・碑
西南役(1名)、日清戦争(1名)、北清事変(3名)、日露戦争(9名)、大東亜戦争(153名)、公務死(2名)のお名前。 |
台座側面: |
軍属(28名)、徴用(7名)、動員学徒(8名)、義勇隊(8名)、満州開拓団(68名)のお名前が刻まれているそうです。 |
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資料によると、西南戦争から大東亜戦争戦没者272名※、このうち原爆犠牲者56名を慰霊のために建立された慰霊碑だそうです。
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広島市の資料によると286名で原爆犠牲者56名(内訳を軍人・軍属33名、動員学徒8名、義勇隊8名、徴用工7名)としています。 |
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1889(明治22)年4月1日4月1日町村制の施行時
白砂(しらさご)村+伏谷(ふしだに)村+葛原(つづらはら)村=砂谷(さごたに)村となりました。
1956(昭和31)年9月30日砂谷村+水内(みのち)村+上水内村=湯来(ゆき)町が発足。
2005(平成17)年4月25日湯来町が広島市に編入、佐伯区湯来町になりました。 |
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三村が合併して湯来町が発足した記念としてそれぞれの村に戦没者慰霊碑が建立されたそうです。 |
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2015年被爆70年で原爆関連の慰霊碑、平和祈念碑などを巡っていますが、交流ウォーク先輩の増田先生が、湯来町へは若いころ研修で行って以来行っているから道案内はできると、湯来町に建立されている慰霊碑を巡ってみようと云って下さったのです。
わたしは湯来町のことをよく知らないし、公共交通機関で行くとなると不便な地でしたので、資料で知った慰霊碑を訪ねたことがなかったので、図々しいと思いましたがお願いしました。
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湯来町で最初に訪ねたのが、ここ西光寺に建立されている砂谷村慰霊碑でした。
慰霊碑はすぐにわかり撮影しました。
増田先生と話しているとき、“さこたに”と云えば、昔になりましたが、砂谷牛乳を宅配してもらっていたな~と思い出しました。このときまで「さごたに」と濁ることを知らなかったわたしでした。
砂谷村の行政的歴史などは広島県地名辞典を参考にしました。その中に砂谷牛乳のことも記述(下記)がありました。慰霊碑とは関連ありませんが取り上げました。 |
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1941(昭和16)年久保政夫は乳牛23頭とともに八丈島から帰郷して酪農業を始め砂谷牛乳の基礎を築いた。 |
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15.12.01.裕・記編集 |