(旧水内村)慰霊碑

  佐伯区湯来町麦谷の湯来東小学校前に、1960(昭和35)年11月に建立された「(旧水内村)慰霊碑」です。
 正面: 慰霊碑
    広島別院輪番 小笠原彰真書
側面: 昭和三十五年十一月
裏面: 日清戦争(2名)、北清事変(1名)、日露戦争(9名)、大東亜戦争(157名)、「軍属」(17名)、「義勇軍」(3名)、「動員学徒」(13名)、「徴用工員」(3名)、「勤労奉仕」(7名、「滿洲開拓団」(81名))
台座裏面: (建設委員会名簿:・・・・・・・・委員・秋田校長、委員・高木校長。)
工事施行者:山県郡加計町吉村石材店。佐伯郡湯来町東和建設K.K
広島市の資料によると戦没者293名でそのうち原爆犠牲者68名(内訳を軍人・軍属42名、動員学徒13名、義勇隊3名、徴用工3名、勤労奉仕員7名)としています。
1889(明治22)年4月1日4月1日町村制の施行時、
          和田村+麦谷(むぎたに)村+下(しも)村=水内(みのち)村となりました。
1956(昭和31)年9月30日砂谷(さごたに)村+水内村+上水内村=湯来(ゆき)町が発足。
2005(平成17)年4月25日湯来町が広島市に編入、佐伯区湯来町になりました。
2015年交流ウォーク先輩の増田先生が、湯来町へは若いころ研修で行って以来行っているから道案内はできると、湯来町に建立されている慰霊碑を巡ってみようと云って下さったのです。
湯来町で最初に砂谷村慰霊碑を訪ね、次が上水内村慰霊碑で、三番目に湯来町原爆死没者慰霊碑でした。そして、今回の湯来町での“原爆関連の慰霊碑”最後で四番目になるのがこの「水内村慰霊碑」でした。
浅野藩指定の湯治場だったという湯の山温泉の方へ回り道していただいた後、国道433号へ出て湯来東小学校を目指していきました。あれは学校だなとわかりましたが道がわからず通り過ぎ、旧道に入り戻っていって学校に着くとそこにここで取り上げた慰霊碑が建っていましたので、撮影しました。
15.12.05.裕・記編集

15.11.21.撮影
広島市佐伯区湯来町麦谷1803-1  湯来東小学校前

15.11.21.撮影

15.11.21.撮影
慰霊碑    広島別院輪番 小笠原彰真書

15.11.21.撮影

15.11.21.撮影
(慰霊碑裏面)死没者名板

15.11.21.撮影
 (台座裏面)慰霊碑建設委員名簿・板

15.11.21.撮影
側面:昭和三十五年十一月(建立)

15.11.21.撮影



「原爆関連慰霊碑等巡り」編
「平和祈念碑等建立地一覧」編



広島ぶらり散歩へ
湯来町原爆死没者慰霊碑
砂谷村慰霊碑
上水内村慰霊碑
水内村慰霊碑
 湯来東小学校
   丸型ポスト
   (蒸気機関車)動輪


inserted by FC2 system