広島銀行役職員慰霊碑-移設前-

  中区紙屋町の広島銀行本店屋上に、1968(昭和43)年11月に建立された「広島銀行役職員慰霊碑」です。
※像作者は、伊藤顕(あきら:当時広島県美展審査員)。 題字揮毫は、井藤勲雄(1908-1989)。
※2021年3月新広島銀行本店ビル1階オープンスペースに再建立されていました。
※碑銘は、頂いた広島銀行資料を参照して“物故者”を入れない「広島銀行役職員慰霊碑」としました。
 正面: 慰霊
裏面: 役職員物故者のみたまここに
鎮まる その遺業をたたえ景慕
敬弔の誠を捧げる 
   創業九十周年を迎えて 
     昭和四十三年十一月 頭取 井藤勲雄
  *像:ブロンズ製、台座:伊予石+黒御影石。   
広島市の資料によると『芸備銀行(現在・広島銀行)本店は爆心地から260mでした。1945(昭和20)年8月6日原爆により、本店建物内で被爆した17人を含む行員144人が犠牲となりました。
社屋は外形のみ残して内部が全焼しましたが、戦後改修して使用されていました。
1965(昭和40)年2月新本店完成。1968(昭和43)年創業90周年を迎えたのを機に慰霊碑「広島銀行役職員物故者慰霊碑」が建立され、11月2日除幕式が行われました。※見学する場合、事前連絡必要で、電話(082-247-5151)で広報・地域貢献室へ。』とあります。
1920(大正9)年藝備銀行設立(第六十六銀行他6行が統合して)。
1950(昭和25)年8月廣島銀行に変更。1988(昭和63)年広島銀行と商号変更。
被爆した芸備銀行本店は、
1927(昭和2)年6月竣工。 鉄筋コンクリート造、5階建・地下1階。
    外観イオニア式列柱、“牛の目”と呼ばれた円形窓が特徴の建物だったそうです。
1962(昭和37)年11月(新築のため)解体されました。
2015年原爆関連の慰霊碑、平和祈念碑などを巡り、既に編集している頁を更新したり、新しく頁を編集したりして、一年間ブログで紹介していたのです。
しかし、ここ広島銀行に原爆関連の慰霊碑が建立されていることは資料を見て以前より知っていましたが、(銀行関係の慰霊碑を訪ねることは肩書もないわたしにはハードルが高く)広島銀行は訪ねていなかったのです。
2015年、広島市は被爆70周年の記念事業の中のひとつとして市民局国際平和推進部平和推進課が「原爆関係の慰霊碑等の概要」を編集公開したのです。
その資料の疑問点などいろいろと平和推進課担当者の方と話していたのです。その中で、慰霊碑の写真を撮りに行っているという話を聞いたのです。
広島銀行の慰霊碑も撮影に行くという話を聞いたので、できればわたしも同行させていただきたいとお願いしていたのです。今(2016年3月)回同行させていただき、撮影できましたのでこの頁を編集しました。
16.03.25.裕・記編集

16.03.22.撮影
広島市中区紙屋町1-3-8   広島銀行本店(屋上)

16.03.22.撮影

16.03.22.撮影

16.03.22.撮影
正面:慰霊

16.03.22.撮影

16.03.22.撮影
 裏面:碑文(上記)板が取り付けられています)

16.03.22.撮影
このブロンズ像は、
抽象化された四人の像が立ち、複数の協力によって、その総合力が昇華されている感じと同時に、個々の曲線はうちに向かって祈る姿勢を表現したもの』だそうです。
広島銀行の慰霊碑についてという資料を参照しました

16.03.22.撮影

16.03.22.撮影

16.03.22.撮影

16.03.22.撮影
敬称は略しました



「原爆関連慰霊碑等巡り」編
「平和祈念碑等建立地一覧」編



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