藝備銀行本店・被爆柱頭

  中区紙屋町の広島銀行本店ビル1階北側に、展示された「藝備銀行本店・被爆柱頭」です。
※爆心地から260mで被爆しました。
2021(令和3)年5月6日新本店ビル開業前に(誰もが何時でも自由に拝見できる)1階北側屋外スペースに移設建立された“役職員物故者慰霊碑”の対面に設置展示されています。
(設置の)説明板
       藝備銀行本店 被爆柱頭     爆心地から260mでした。
A-Bomb Damaged Pillar Head from the Geibi Bank Head Office Building
『1927(昭和2)年6月27日、現在の広島銀行本店と同じ位置に、当時としては珍しいギリシャ風のイオニア式建築として、藝備銀行(広島銀行の前身)本店が完成しました。
1945(昭和20)年8月6日原爆が投下された際も建物は辛うじて焼け残り、その後大規模改修を経て、戦後の復興期を地域のみなさまと共に歩んできましたが、1962(昭和37)年にその役割を終えました。)』
1920(大正9)年藝備銀行設立(第六十六銀行他6行が統合して)。
1950(昭和25)年8月廣島銀行に変更。1988(昭和63)年広島銀行と商号変更。
被爆した芸備銀行本店は、
1927(昭和2)年6月竣工。 鉄筋コンクリート造、5階建・地下1階。
    外観イオニア式列柱、“牛の目”と呼ばれた円形窓が特徴の建物だったそうです。
1962(昭和37)年11月(新築のため)解体されました。
(開業が2021年5月予定と聞いていた)この広島銀行本店ビルでしたが、3月に会った兄に広島銀行の慰霊碑が1階のオープンスペースに建立されているのを見たと教わったのです。その時ここで取り上げた被爆した藝備銀行本店の柱頭も展示されているとも教わったのです。
いままでここで取り上げた柱頭の飾りは展示されていたという記憶はないので、広島銀行において保管されていたのでしょう。一般の市民が自由に見ることができるスペースに展示されたことは爆心地から至近距離で被爆したこの柱頭から原爆の惨禍に思いをはせ、平和を考える一助になるとわたしは思うのです。
22.03.08.裕・記編集

21.03.16.撮影
広島市中区紙屋町1-3-8   広島銀行本店ビル(北側屋外)

21.03.16.撮影

21.03.16.撮影

21.03.16.説明板を撮影
 
建物正面(西側)に設置されていた四本の柱の頭部装飾です。
*西面は爆心方向で、電車道に面していました。
「イオニア式」
古代ギリシアの建築様式のひとつ。
先行する重厚なドーリア式と違い、柱頭に渦巻状の飾りをもち、柱の溝 (みぞ) は24で深く柱台をもつ。
前5世紀後半より約1世紀間が最盛期で、アテネのエレクティオンが代表的。
やがてより華麗なコリント式に移行した。

21.10.22.撮影
(道路側からみました)

21.10.22.撮影
(展示の正面をみました)

21.10.22.撮影

21.10.22.撮影

21.10.22.撮影
 (ビル側からみました)



「被爆した建物・構築物」編



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広島銀行役職員慰霊碑-移設前-
広島銀行役職員物故者慰霊碑-移設後-
藝備銀行本店・被爆柱頭


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