中国管区司令部殉職追悼之碑

  南区比治山公園の陸軍墓地に建立されている「中国管区司令部殉職追悼之碑」です。
戦前は、広島城を中心とする基町一帯は、陸軍の施設が集まる一大軍事拠点で、その中心ともいえる中国軍管区司令部の庁舎は広島城の本丸と二の丸に置かれていました。
1945(昭和20)年8月6日原爆により、軍関係者のほか、通信業務に動員されていた比治山高等女学校の生徒・教員も犠牲となったそうです。
軍関係者と比治山高等女学校の犠牲者を慰霊する碑として、中区広島護国神社前に「中国軍管区司令部軍人・軍属・動員学徒慰霊碑」が建立されています。
 昭和20(1945)年8月6日殉職 
中国(軍)管区司令部 故陸軍少将倉繁三蔵他百二柱追悼之碑

           1965(昭和40)年、比治山陸軍墓地保存協賛会建立
中国軍管区司令部殉職者103柱は、1979(昭和54)年中区基町の広島護国神社横に建立された慰霊碑に、比治山高女・動員学徒とともに合祀されています。
1873(明治6)年広島城内に広島第五鎮台が設置され、その後第五師団司令部となりました。
その隷下部隊は幾多の戦役に際し、国軍の一翼として活動しました。日華事変、太平洋戦争において第五師団出兵後の広島では、留守第五師団司令部、広島師団司令部、広島師管区司令部、中国軍管区司令部と名称、組織、使命はその都度変化しながらも多くの師団、旅団を編成して送り出し補充を行っていました。
しかし、1945(昭和20)年8月6日米軍投下の原子爆弾で壊滅し、事実上の終焉を迎えました。
資料で建立されていることは知っていましたが過去何度か訪ねたときには場所がわかりませんでしたが、2007年訪ねた時に、陸軍墓地に入ってすぐ右手に建立されていることがわかり、撮影してこの頁を編集しました。
2015年久しぶりに撮影したので、この頁を更新しました。
15.09.13.更新   07.03.24裕・記編集
   関連頁:中国軍管区軍人軍属・動員学徒慰霊碑

07.03.14撮影
広島市南区比治山公園6 陸軍墓地

07.03.14撮影

07.03.14撮影

15.09.05.撮影

15.09.05.撮影

15.09.05.撮影

15.09.05.撮影



「原爆関連慰霊碑等巡り」編
「平和祈念碑等建立地一覧」編



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