1946 |
昭和21年8月5日 |
(広島護国神社跡で)平和復興市民大会
市町会連盟主催で≒7,000人参加。木原七郎市長「平和都市 広島の建設に邁進しよう」とあいさつ。
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1947 |
昭和22年8月6日 |
(慈仙寺鼻の平和広場=現・平和記念公園で)平和祭。当時の浜井信三市長が『平和宣言』をする。 |
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「お祭り騒ぎはもってのほか」などと遺族から平和祭協会に非難殺到。米ライフ誌が「未開地のカーニバル」と報道。 |
1948 |
昭和23年8月6日 |
第2回平和祭式典。「ノー・モア・ヒロシマズ」 の看板を掲げました。
英連邦軍総司令官ロバートソン中将が 「広島市が受けた懲罰は戦争遂行の途上受くべき日本全体の報復の一部」と演説。 |
1950 |
昭和25年 |
朝鮮戦争により中止
午前9時15分(夏季時間)、広島市内祈りを告 げるサイレンを鳴らす。慈仙寺鼻の供養塔前では遺族たちが焼香をしました。 |
1951 |
昭和26年8月6日 |
(原爆供養塔前広場で)死没者慰霊祭と平和記念式典。(平和宣言の代わりに市長あいさつ) |
1952 |
昭和27年8月6日 |
4月28日対日講和条約発効後。(平和記念公園で)初の慰霊式・平和記念式典 。
≒1,000人が参列。原爆孤児ら5人が原爆死没者慰霊碑を除幕。57,902人の原爆死没者名簿を奉納 |
1953 |
昭和28年8月6日 |
広島市原爆死没者慰霊式・平和記念式。 |
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原爆犠牲者の慰霊と世界平和の実現を祈る内容での式典で、広島市は宗教的な行事ではないとの見解を示しています。 |
1955 |
昭和30年8月6日 |
被爆10周年、≒50,000人が参列。
市内各職場合唱団が「ひろしま平和の 歌」「原爆を許すまじ」を合唱 |
1960 |
昭和35年8月6日 |
広島県、市共催の原爆15周年、慰霊式・平和記念式。
≒40,000人が参列。皇太子、清瀬一郎衆院議長が初めて参 列。 |
1965 |
昭和40年8月6日 |
被爆20周年。≒30,000人が参列。
佐藤首相代 理として官房長官が出席. |
1975 |
昭和50年8月6日 |
被爆30周年。≒40,000人が参列。
静かな祈り の場にと平和記念公園前の平和大通り900mを初めて通行止めにしました。 |
1985 |
昭和60年8月6日 |
被爆40周年。≒55,000人が参列。
米3大テレビネットワークが全米に衛 星中継。海外13ヶ国報道陣が取材。 |
1995 |
平成7年8月6日 |
被爆50年、式典参列者は≒60,000人(過去最大の参列者)でした。
児童2人が初めて「平和の誓い」を読み上げました。 |
2005 |
平成17年8月6日 |
被爆60年、式典参列者は≒55,000人でした。 |
2006 |
平成18年8月6日 |
式典参列者は≒45,000人でした。 |
2007 |
平成19年8月6日 |
式典参列者は≒40,000人でした。 |
2008 |
平成20年8月6日 |
式典参列者は≒45,000人でした。(広島市発表) |
2009 |
平成21年8月6日 |
式典参列者は≒50,000人でした。(広島市発表) |
2010 |
平成22年8月6日 |
被爆65年、式典参列者は≒55,000人でした。(広島市発表)
米国ルース駐日大使参列。潘基文国連事務総長、国連事務総長としてははじめて参列、挨拶。 |
2011 |
平成23年8月6日 |
式典参列者は≒50,000人でした。(広島市発表) |
2012 |
平成24年8月6日 |
式典参列者は≒50,000人でした。(広島市発表)
*空席が目立っていましたので、昨年よりは少ないようにわたしは思いましたが
英・仏駐日大使がはじめて参列し、中国を除く核保有国の大使が参列しました。 |
2013 |
平成25年8月6日 |
式典参列者は≒50,000人でした。 |
2014 |
平成26年8月6日 |
式典参列者は≒45,000人でした。 |
2015 |
平成27年8月6日 |
式典参列者は≒55,000人でした。 |
2016 |
平成28年8月6日 |
式典参列者は≒50,000人でした。(広島市発表) |
2017 |
平成29年8月6日 |
式典参列者は≒50,000人でした。(中國新聞記事)
*通称原爆資料館が耐震工事中で、会場の範囲が狭くなっていましたので、
式典会場での参加列者は減っていたと思います。 |