原爆忌の献水(概説) 

献水
『炎の中で、水を求めながら、亡くなられた方々のため、(広島)市内16箇所※から集めた清水を捧げます。』
採水の場所
1. 東区牛田新町浄水場
2. 東区牛田新町天水
3. 東区温品8丁目清水谷
4. 西区田方斉神
5. 西区三滝町三滝
6. 西区己斐上町滝の観音
7. 安佐南区上安町荒谷山
8. 安佐南区緑井町権現山
9. 安佐南区沼田町窓が山
10. 安佐北区安佐町大字小河内
11. 安佐北区可部町福王寺
12. 安佐北区深川4丁目(中深川)
13. 安佐北区白木町大字秋山
14. 安芸区矢野西5丁目
15. 安芸区阿戸町景浦山
16. 佐伯区屋代町竜神釜
17. 南区似島町字大黄
献水は、1974(昭和49)年8月6日の「広島市原爆死没者慰霊式並びに平和祈念式」(通称・平和記念式典)から式典前の行事として取り入れられました。
それ以来毎年行われています。 広島市内16箇所から集められた水を、 市民の手により原爆死没者慰霊碑(正式名:広島平和都市記念碑)前にささげるものです。
2002年(わたしは)はじめて通称・平和記念式典に参列し、式次第のパンフレットをもらったのです。その表紙の裏にここで取り上げる「献水」の事が印刷されていましたが、それとなく目を通しただけでした。
報道でも原爆忌での献水の事が取り上げられていますので、パンフレットを単にみてタイピングしただけのこの頁を編集しようと思いました。
採水の場所前の数字は(わたしが勝手に)整理番号として付けたもので、パンフレット(下記掲載画像)にはありません。
1985(昭和60)年の佐伯区誕生の年から献水しています。1985(昭和60)年から1991(平成3)年までは、屋代町の竜神釜という、谷あいの滝つぼの水を汲んでいましたが、1991(平成3)年の台風19号により被害にあい、1992(平成4)年からは、茶臼山城跡の湧水を汲んでいましたが、元に戻り2005(平成16)年から佐伯区屋代町竜神釜になっています。
2008年より(表紙裏の)献水の記載が無くなりました。
報道で『2011年に17番目の献水箇所として、原爆投下直後に多くの被爆者が運ばれ、野戦病院となった旧陸軍似島第2検疫所跡の井戸水が献水行事に初めて使われる事になりました。』という事を知ったので追記しました。
宇根利枝さんが、2012(平成24)年3月10日93歳で死去された事を新聞報道で知りました。
『宇根利枝さんは、1945(昭和20)年8月6日爆心地から約2,500mの広島陸軍兵器支廠で、託児所の保母をしていて被爆。1955(昭和30)年西区の山中で滝を見つけたのを機に、水を求めて息絶えた犠牲者を悼み、慰霊碑に水を手向ける活動を始めた。〔当初は5〜6ヶ所でしたが、長年にわたり約120ヶ所の慰霊碑に献水を続けてきた。〕
広島市が1974(昭和49)年に始めた「原爆(忌の)献水」に協力し、8月6日(通称)平和記念式典に水を持参。原爆死没者慰霊碑にささげてきた。2004(平成16)年度広島市民賞を受賞。』
この頁を編集するきっかけになったのは、2009年10月交流ウォーク探検隊で佐伯区の茶臼山城址に行ったことで、原爆忌の献水として採水されていた事を知ったのです。そして、そういえば東区の浄水場の神田神社分社からも採水されていることを思い出したのです。
牛田新町の天水(あまず)の名水もそれとなく聞いていましたので、この頁を編集したので、行ってみました。
今(2017)年は(今までとは違い)時間をかけて丁寧に献水が行われたように(遠くからみただけでしたが)感じましたので撮影しました。
17.08.31更新   10.09.05裕・記編集
通称・平和記念式典で配布される式次第(画像は2007年版) (表紙裏面の)献水の記事

11.08.06撮影
原爆死没者名簿奉納(へ向かう)広島市長、遺族代表、(市職員)
原爆死没者慰霊碑の前に広島の各所から集められた献水を入れた手桶が置かれています
 

17.08.06撮影
平和記念式典の前に行われる「献水」
今(2017)年は今までとは違い時間をかけて行われたように感じましたので撮影しました



無知からはじめた豆知識


「平和記念式典関連」編



広島ぶらり散歩へ
(原爆忌の)献水
 (東区)神田神社分社
 (東区)天水の名水
 (安佐北区)福王寺・金仙水
 (佐伯区)茶臼山城跡
 (西区)三滝町・幽明の滝の水
 (安佐南区)毘沙門堂・手水舎
 (南区)旧(第二)検疫所・井戸





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