オバマ大統領の広島での演説2016年5月27日

  中区中島町の平和記念公園での「オバマ米国大統領の演説」を取り上げました。
※2016(平成28)年5月27日(金)現職米国大統領のはじめての広島訪問に大きな話題となりました。
わたしはTV中継と共に地元ラジオ局の放送を同時に見聞きしていました。
平和記念資料館の見学約10分というのは、見てもらう資料を特別展示したようですが、あまりにも短すぎましたね。原爆被害の実相はわからなかったでしょうが、わたしは、今回は現職大統領が訪れ見学したことでよかったと思っています。
簡単なスピーチになると報道など聞いていましたが約17分の演説になりましたので取り上げました。
元広島市長(31代・32代)だった平岡敬さんは、美辞麗句はいらない、スピーチはよく練られてはいたが、心に響かなかった、来年任期切れの在任中の遺産として広島が利用されたようにも思うと述べられていました。
爆心地から≒1800mの処で被爆した(ボケていない時の)お袋が生きておれば平岡さんと同じようなことを云ったかもしれないと思ったりしました。
金曜日でしたので、もしもオバマ演説ご存じなかったら読んでみてください。
各新聞社も演説全文というものを公表していましたが、わたしは、在日・米国大使館の日本語・仮訳というものを引用しました。
前日の安倍・オバマ共同記者会見時の通訳を聞いていましたが、米国側の翻訳は文脈がしっかりしていましたのでよくわかったからです。(同時通訳も聞いていましたがどういう文脈かがわからない翻訳だったからです)
       オバマ米大統領演説要旨         ※(平和記念公園滞在時間≒52分間)演説時間≒17分
1. 広島訪問の理由を
「閃光と炎の壁が都市を破壊し、人類が自らを破滅させる手段を手にした。私たちは、そう遠くない過去に解き放たれた恐ろしい力に思いをめぐらすために来た」と語りました。
2. 原爆により、日本人のみならず、朝鮮人や米国人捕虜も犠牲となったと指摘。
過去の戦争を振り返り、「罪なき人たちが犠牲になってきた」と語り、戦争の悲惨さを訴えて、「外交を通じて紛争を回避し、すでに始まった紛争の終結に尽力しなければならない」と述べました。
3. 「(広島に米国が原爆を投下した)1945年8月6日の記憶を薄れさせてはならない」と訴えました。
しかし、71年前に米国が原爆投下したことへの謝罪や、原爆投下の是非には言及しませんでした。
4. 2009年のチェコのプラハ演説で訴えた「核なき世界」に向けて取り組む決意を強調。
「広島と長崎は“核戦争の夜明け”ではなく、私たちが道徳的に目覚めることの始まり」と述べ、原爆投下を教訓に、「核なき世界」をあくまでも追求すべきだとの考えを示しました。
5. 日米関係について、「米国と日本は同盟だけでなく、友情を築いた」とも語り、かつて戦った日米両国が、戦後に同盟国に変わっていった「和解」の象徴であるとの認識を示しました。
 新聞報道などで、平和記念資料館に期間限定で、オバマ大統領が折ったという折鶴の展示がされていると聞いていましたので、6月16日広島赤十字病院での定期検査後立ち寄り撮影しました。オバマ大統領の演説中の画像が展示され、折鶴の展示も撮影しましたので、この頁には演説中の画像を加えました。折鶴展示は別頁で編集します
16.06.16.更新  16.05.28.裕・記編集

16.06.16.通称原爆資料館展示画像を撮影
バラク・オバマ大統領の平和記念公園(原爆死没者慰霊碑前)
-2016年5月27日広島での演説-
☆演説全文の資料は、在日米国大使館の(日本語訳)を参照しました。これは仮翻訳で、正文は英文ですと云っています。
  71年前の明るく晴れわたった朝、空から死が降ってきて世界は一変しました。閃光(せんこう)と炎の壁によって町が破壊され、人類が自らを破滅させる手段を手にしたことがはっきりと示されました。

 私たちはなぜ、ここ広島を訪れるのでしょうか。それほど遠くない過去に解き放たれた、恐ろしい力についてじっくりと考えるためです。10万人を超える日本人の男女そして子どもたち
※1、何千人もの朝鮮半島出身の人々※2、12人の米国人捕虜※3など、亡くなった方々を悼むためです。こうした犠牲者の魂は私たちに語りかけます。彼らは私たちに内省を求め、私たちが何者であるか、そして私たちがどのような人間になるかについて考えるよう促します。

 広島を特別な場所にしているのは、戦争という事実ではありません。古代の遺物を見れば、人類の誕生とともに暴力的な紛争も生まれたことが分かります。人類の初期の祖先たちは、火打ち石から刃物を、木からやりを作ることを覚え、こうした道具を狩猟だけでなく、人間を攻撃するためにも使いました。どの大陸においても、原因が穀物の不足か、金塊を求めてか、強い愛国心か、熱心な信仰心かにかかわらず、文明の歴史は戦争で満たされています。帝国は盛衰し、人々は隷属させられたり解放されたりしました。その節目節目で、罪のない人々が苦しみ、無数の人々が犠牲となりましたが、その名前は時間の経過とともに忘れ去られました。

 広島、長崎で残酷な終結を迎えたあの世界大戦は、世界で最も豊かで最も力を持つ国同士の戦いでした。これらの国々の文明により、世界は素晴らしい都市と見事な芸術を得ることができました。これらの国々から生まれた思想家たちは、正義と調和と真実の思想を唱道しました。しかし、この戦争を生んだのは、最も素朴な部族の間で紛争の原因となったものと同じ、支配したいという基本的な本能でした。古くから繰り返されてきたことが、新たな制約を受けることなく、新たな能力によって増幅されました。わずか数年の間に、およそ6000万人の人々が亡くなることになりました。子どもを含む、私たちと同じ人々が弾丸を浴び、殴られ、行進させられ、爆撃され、投獄され、飢え、ガス室に送られて死んでいったのです。

 世界には、この悲劇を記録する場所がたくさんあります。勇気と英雄的な行為の物語を伝える記念碑、言葉では言い表せない悪行を思い起こさせる墓地や誰もいない収容所などです。しかし、空に立ち上るキノコ雲の映像の中に、私たちは、人間が抱える根本的な矛盾を非常にはっきりと思い起こすことができます。すなわち、人間の種として特徴付ける、まさにその火花、つまり私たちの思想、想像力、言語、道具を作る能力、人間を自然から引き離し、自分の思いどおりに自然を変える能力が、比類ない破壊をもたらす力を私たちに与えたのです。

 物質的進歩や社会的革新によって、この真実が見えなくなることはどれほどあるでしょうか。より大きな大義の名の下に、暴力を正当化する術を身に付けることは非常に容易です。全ての偉大な宗教は、愛と平和と正義に至る道を約束します。しかし、いかなる宗教にも、信仰を殺人の許可と考える信者がいます。国家というものは、自らを犠牲にして協力し、素晴らしい偉業を成し遂げるために人々を団結させる物語を語って生まれます。しかし、その同じ物語が、自分たちと異なる人々を弾圧し、人間性を奪うために何度も使われてきました。

 科学によって人間は、海を越えて通信し、雲の上を飛び、病を治し、宇宙を理解することができるようになりました。しかし、こうした同じ発見を、これまで以上に効率的な殺人マシンに転用することもできます。

 現代の戦争はこの真実を教えてくれます。広島はこの真実を教えてくれます。人間社会に同等の進歩がないまま技術が進歩すれば、私たちは破滅するでしょう。原子の分裂を可能にした科学の革命には、倫理的な革命も必要なのです。

 だからこそ私たちは、この場所を訪れるのです。この町の中心に立ち、勇気を奮い起こして原爆が投下された瞬間を想像してみるのです。目にしている光景に当惑した子どもたちの恐怖を感じてみるのです。 声なき叫び声に耳を傾けるのです。私たちは、あの恐ろしい戦争、それ以前に起きた戦争、そしてこれから起こるであろう戦争の犠牲になった罪のない人々のことを忘れてはいません。

 単なる言葉では、このような苦しみを伝えることはできません。しかし私たちは歴史を真っ向から見据え、このような苦しみが二度と起きないようにするために、どのように行動を変えればいいのかを考える責任を共有しています。いつの日か、証人としての被爆者の声を聞くことがかなわなくなる日が来ます。けれども1945年8月6日の朝の記憶が薄れることがあってはなりません。この記憶のおかげで、私たちは現状を変えなければならないという気持ちになり、私たちの倫理的想像力に火がつくのです。そして私たちは変わることができるのです。

 あの運命の日以降、私たちは希望に向かう選択をしてきました。日米両国は同盟を結んだだけでなく友情も育み、戦争を通じて得るものよりはるかに大きなものを国民のために勝ち取りました。欧州諸国は、戦場の代わりに、通商と民主主義の絆を通した連合を築きました。抑圧された人々や国々は解放を勝ち取りました。国際社会は、戦争の回避や、核兵器の制限、縮小、最終的には廃絶につながる機関や条約をつくりました。

 しかし、国家間の全ての侵略行為や、今日世界で目の当たりにする全てのテロ、腐敗、残虐行為、抑圧は、私たちの仕事に終わりがないことを物語っています。人間が悪を行う能力をなくすことはできないかもしれません。ですから私たちがつくり上げる国家や同盟は、自らを防衛する手段を持つ必要があります。しかし私自身の国と同様、核を保有する国々は、恐怖の論理から逃れ、核兵器のない世界を追求する勇気を持たなければなりません。

 私が生きている間に、この目標を実現することはできないかもしれません。しかし粘り強い努力によって、大惨事が起きる可能性を低くすることができます。保有する核の根絶につながる道を示すことができます。核の拡散を止め、大きな破壊力を持つ物質が狂信者の手に渡らないようにすることができます。

 しかし、これだけでは不十分です。なぜなら今日世界を見渡せば、粗雑なライフルやたる爆弾さえも、恐ろしいほど大きな規模での暴力を可能にするからです。戦争自体に対する私たちの考え方も変えるべきです。そして外交を通じて紛争を回避し、始まった紛争を終結させるために努力すべきです。相互依存の高まりを、暴力的な争いではなく平和的な協力を生むものであると理解し、それぞれの国を破壊能力ではなく、構築する能力によって定義すべきです。

 とりわけ、私たちは人類の一員としての相互の結び付きについて再考すべきです。これも人類を他の種と区別する要素だからです。私たちは、遺伝子コードによって、過去の過ちを繰り返すよう定められているわけではありません。私たちは学ぶことができます。選択することができます。子どもたちに異なる物語、つまり共通の人間性を伝える物語であり、戦争の可能性を低下させ、残虐行為を受け入れ難くするような物語を話すことができます。

 私たちは、こうした物語を被爆者の方々に見てとることができます。原爆を投下したパイロットを許した女性がいます。本当に憎んでいたのは戦争そのものであることに気づいたからです。この地で命を落とした米国人の遺族を探し出した男性がいます。彼らが失ったものは自分が失ったものと同じだと信じたからです。私の国の物語は簡潔な言葉で始まりました。「万人は平等に創られ、また生命、自由および幸福追求を含む不可譲(ふかじょう)の権利を、創造主から与えられている」というものです。こうした理想を実現することは、国内においても、自国の市民の間でも決して容易ではありません。

 しかし、この理想に忠実であろうと取り組む価値はあります。これは実現に向けて努力すべき理想であり、この理想は大陸や大洋を越えます。全ての人が持つ、減じることのできない価値。いかなる命も貴重だという主張。私たちは、人類というひとつの家族の一員であるという基本的で必要な概念。これこそ私たちが皆、語らなければならない物語です。

 だからこそ、人は広島を訪れるのです。そして大切に思う人々のことを思い浮かべます。朝一番に見せる子どもの笑顔。食卓でそっと触れる伴侶の手の優しさ。ホッとさせてくれる親の抱擁。こうしたことを考えるとき、私たちはこの同じ貴重な瞬間が71年前、ここにもあったことを知ることができます。犠牲となった方々は、私たちと同じです。普通の人々にはこれが分かるでしょう。彼らはこれ以上戦争を望んでいません。科学の感嘆すべき力を、人の命を奪うのではなく、生活を向上させるために使ってほしいと思っています。

 国家が選択を行うとき、指導者が行う選択がこの分かりやすい良識を反映するものであるとき、広島の教訓が生かされることになります。

 この地で世界は永遠に変わりました。しかし、今日この町に住む子どもたちは平和な中で一日を過ごします。なんと素晴らしいことでしょう。これは守る価値があることであり、全ての子どもに与える価値があることです。こうした未来を私たちは選ぶことができます。そしてその未来において、広島と長崎は、核戦争の夜明けではなく、私たち自身が倫理的に目覚めることの始まりとして知られるようになるでしょう。
 
参考編集頁
※1) 原爆被害(広島)
※2) 韓国人原爆犠牲者慰霊
※3) 原爆犠牲米軍人慰霊銘板
33代 ハリー・S・トルーマン
  1945(昭和20)年7月25日原爆投下の命令を下しました。
34代 ドワイト・D・アイゼンハワー
35代 ジョン・F・ケネディ
36代 リンドン・ジョンソン
37代 リチャード・ニクソン
38代 ジェラルド・R・フォード
39代 ジミー・カーター(在任:1977-1981)
   1984(昭和59)年5月25日元大統領としてはじめて広島を訪れた人でした。
40代 ロナルド・レーガン
41代 ジョージ・H・W・ブッシュ
42代 ビル・クリントン
43代 ジョージ・W・ブッシュ
44代 バラク・オバマ
   2016年5月27日(来年任期切れのその前に)現職大統領として訪れました。



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