(マルセル)ジュノー広場

  中区袋町のまちづくり交流プラザ北側にジュノー博士を顕彰して整備されている「ジュノー広場」です。
マルセル・ジュノー博士 (Dr. Marcel Junod :1904-1961 ; スイスの医学者)
1945(昭和20)年赤十字国際委員会の駐日代表として来日していたジュノー博士は、広島の原爆被災の惨状を聞くや、医師として放射能の恐ろしさを知りながら、15トンの医薬品とともに9月8日来広し、廃墟と化した市街地に入って、各所で自らも被爆市民の治療にあたりました。博士によって届けられた医薬品の中には、日本では手に入らないものもあり、数多くの被爆者が救われました。
当時、救護所の一つであり、1日100人あまりの診療が行われていた袋町国民学校(現在の当校)においても、博士は被爆者の治療にあたりました。広島の恩人であるジュノー博士の生誕100年にあたり、その人道的・献身的な行為に心から感謝し、この広場をジュノー広場と命名するとともに、末永く広島市民に語り継がれていくことを祈念します。                   2004(平成16)年10月2日
        マルセル・ジュノー広場
  ジュノー博士のレリーフを設置している石組みは広島城の外堀の石垣の一部です。
戦国時代の武将毛利元就(1497-1571)の孫、毛利輝元(1553-1625)によって1589(天正17)年に広島城の築城が始まり、その後、内堀・中堀・外堀の三重の堀を巡らした大城郭になりました。
2001(平成13)年に完成した紙屋町地下街「シャレオ」の工事の際に、大規模な外堀跡が発掘されその一部を袋町小学校に移設したものです。
2005年まちづくり交流プラザ北側の小さな広場が「ジュノー広場」と名付けられている事を知り撮影してこの頁を編集しました。  
2006(平成18)年8月にはなかった新しい石碑が11月に設置されていることに気付き撮影しました。その石碑は、広場の石積の説明板でした。また。
もともとは「ジュノー広場」と呼称していましたが、新設の石碑側面には「マルセル・ジュノー広場」となっていました。
2009年レリーフをみて芥川永のサインを確かめました。 
ジュノー広場の根際を通りますが2006年以来撮影していませんでした。
ジュノー広場は変わっていないようでしたが、広島市シェアサイクル「ぴーすくる」のサイクルポートがこのジュノー広場根際に設置されていましたので、2018年撮影し、この頁を更新しました。
19.10.25.更新  09.06.28再編集  05.10.07裕・記編集

05.09.17撮影
広島市中区袋町6-36 まちづくり交流プラザ北側

05.09.17撮影
マルセル・ジュノー博士レリーフ と 説明板(上記)

09.05.30.撮影
ここはジュノー広場 芥川永作:マルセル・ジュノー博士レリーフ

06.08.05撮影

06.11.15撮影
もともとあった説明板 と 新しく石組の説明石碑が建てられていました

18.09.19.撮影
ジュノー広場          シェアサイクル「ぴーすくる」のサイクルポート

18.09.19.撮影
(広島市内の)マルセル・ジュノー博士関連記念碑

01.09.27.撮影

03.05.08.撮影
広島市中区中島町1 平和記念公園 広島市中区千田町1-9-6  広島赤十字原爆病院風除室



「広島の公園」編


「平和祈念碑等建立地一覧」編



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