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広島市中区基町の中央公園(中央児童公園)に建立されている「広島銅合金鋳造会・平和の鐘」です。
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広島市民球場跡地の利用が決まらなかったのですが、やっと2023(令和5)年3月31日ひろしまゲートパークが開業し、この「平和の鐘」の周りも整備されて見違えるようになりました。 |
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平和の鐘 |
1949(昭和24)年当時の広島銅合金鋳造会が、原爆犠牲者の鎮魂と平和への願いをこめて焼け跡から集めた金属を鋳込んで作り、広島市に寄贈された。
同(昭和24)年8月6日の平和祭に打ち鳴らされた由緒ある鐘。
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口径1.2m 高さ1.4m 重さ800Kg 碑文:NO MORE HIROSHIMAS
英文でノーモアヒロシマと平和の象徴の羽ばたきが刻み込まれています。 |
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平和の鐘といえば、平和記念公園の“平和の鐘”があまりにも有名ですが、(旧・広島市民球場*北側の)中央児童公園にも広島銅合金鋳造会が建立したこので取り上げた“平和の鐘”もあるのです。 |
2003年撮影してこの頁を編集しました。 |
2007年平和記念式典後立ち寄ってみたのです。よくみるといままで気がつかなかった、2羽の鳩の彫刻が柱に取り付けてあったのです、何度かみているこの平和の鐘、(通称)平和記念式典で放たれる鳩が導いてくれたのかななどと考えたのでした。 |
*編集当時はまだ広島市民球場がありました。2012年3月ほんの一部を除き解体されました。 |
2015年久しぶりに撮影しました。
柱の鳩をみた時考えることだったのかもしれませんが、迂闊なことに鐘本体にも鳩が鋳込まれていました。周りの状況も変って来ています。この頁を再編集しました。 |
224.02.15.更新 03.05.10裕・編集 |
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広島市民球場がまだあった時代 2003年・2007年撮影 |
広島市民球場(外野席側)が、この平和の鐘の南側にありました。 |
2003年わたしが最初に撮影した時、忘れ去られようとしているのではと思うようなたたずまいでした。
2007年見ていた時に柱に鳩の彫刻がありましたので、撮影し更新しました。 |
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03.05.08.撮影 |
広島市中区基町5 中央児童公園 |
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07.08.06.撮影 |
(リベットで緊結され組み立てられた)ボックス形柱の1面だけに2羽の鳩の彫刻が付けてありました |
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リベット (rivet) |
金属板や鋼材などをつなぎ合わせるために打つ鋲(びよう)。頭部のある金属棒で、接合部に穴を開けて挿し込み、余った端をつぶして固定する。
わたしの子どものことは、建物の鉄骨接合に用いられ、リベットを赤く熱し、下から上へ投げ如雨露状のもので受取り、リベットハンマーと呼ばれる専用工具で頭を潰しながら(このときガタガタと槌音がする)接合していました。 |
※現在はハイテンションボルト(高張力鋼製のボルト)で施工しますので、リベット施工は姿を消しています。 |
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広島市民球場が解体されましたが跡地利用が決まらない時代 2015年撮影 |
2012年2月末で広島市民球場が解体されましたので、2015年撮影するときはこの平和の鐘の周りが急に開けたように感じました。 |
周りが開けたことで、この平和の鐘の存在が知られるようになったのではとわたしは思いました。 |
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15.03.15.撮影 |
(広島市民球場が解体された事でこの鐘の周りが開けたように感じます) |
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15.03.15.撮影 |
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15.03.15.撮影 |
鐘本体にも(同じデザインの)鳩が鋳込まれていました |
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15.03.15.撮影 |
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15.03.15.撮影 |
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市民球場跡地にひろしまゲートパークが開業 2023年撮影 |
2023年3月末に市民球場跡地に広島ゲートパークが開業し、この平和の鐘周りも整備されました、 |
サッカースタジアム工事用の複数のクレーンが奥(西側)に写っています。
2024年2月サッカースタジアムが完成することで、この周りも一層の人出があることでしょう。 |
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23.04.17..撮影 |
広島市中区基町 中央公園(ひろしまゲートパーク北側に位置します) |
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23.04.17..撮影 |
23.04.17..撮影 |
平和の鐘 と 説明板 |
説明文は上記 写真は下段 |
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設置の説明板写真を23.04.17..撮影使用しています |
平和の鐘の点灯 1949(昭和24)年8月6日 中国新聞社提供
〔私見:原爆ドームが見えますので、当時の平和記念公園(1954年に完成しましたが)で催された平和祭〕 |
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23.04.17..撮影 |
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