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中区白島北町の安田学園に建立されている「安田高等女学校職員生徒慰霊碑」です。 |
この碑は昭和二十(1945)年八月六日広島市に投下された原爆により尊い生命を失った職員13名及び生徒310余名の靈永久に安かれと祈念し職員生徒の奉仕を得て安田学園が建立したものである |
昭和二十六(1951)年五月 |
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被爆当時安田高等女学校は西白島に開校しており現在地より爆心地に近い位置でした。現在地には工兵第五連隊がありました。
(現在の)学園は白島北町にあり、京橋川を挟んだ対岸の牛田に住んでいたことがあったわたしですが、女子高校ということから縁がありませんでした。この慰霊碑を撮影するのに訪ね、ガードマンの方にお願いして校門近くに建立のこの碑を撮影しました。 |
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資料をみて「329柱(職員13柱 生徒316柱)」と2003年編集時に記述していましたが、安田学園の沿革をみると「原子爆弾のため職員13名、生徒315名死亡校舎全壊」とありましたので、安田学園を訪ねる機会があったら「原爆死没者氏名」をみてみなくてはと思っていたのです。
2012年になりましたが、交流ウォーク下見で訪ねましたので、みると学園の沿革通りでしたので、別頁で「原爆死没者氏名」の頁を編集し、この頁の死没者の数を訂正しました。
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建物疎開作業での犠牲者について
中國新聞“ヒロシマを開く-建物疎開-”という資料をみると、建物疎開では、安田高等女学校は県庁付近で作業しており建物疎開中での原爆犠牲者は生徒245人、教師5人の方々が犠牲になったとあります。
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2003年に訪ねガードマンの方に要件を話しこの慰霊碑を撮影しこの頁を編集しました。 |
2012年、2015年訪ね撮影しましたので、この頁を更新しました。 |
15.04.28.更新 03.07.05裕・記編集 |