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中区白島北町の安田学園に建立されている若山裕昭作「安田リヨウ記念碑」です。 |
師の教えは 峻嶺より崇高かつ峻厳であり
渓流のように激しく 大河のように滔々として
また 大海のようにすべてを包み込んで 深い愛に満ちている |
制作 若山裕昭 |
安田学園創立80周年を記念し ここに初代学園長・安田リヨウ先生のご遺徳を偲び記念碑を建立しました |
平成7(1995)年11月 安田学園 |
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峻嶺(しゅんれい) |
険(けわ)しく高い峰 |
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峻厳(しゅんげん) |
[名・形動]非常にきびしいこと。また、そのさま。 |
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滔滔(とうとう) |
[形動タリ]1 水がとどまることなく流れるさま。 |
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安田リヨウ (やすだ りよう:1884-1977) |
教育者。広瀬村(現・広島市)出身。
夫の安田五一と共に広島技芸女学校を創立。
「柔(やさ)しく剛(つよ)く」の理念で女子教育を実践しました。
大正 4(1915)年広島技芸女学校創立。大正 9(1920)年広島実科高等女学校開校。
大正11(1922)年安田高等女学校開校
昭和47(1972)年学校法人安田学園学園長に就任
昭和52(1977)年死去享年93歳。正五位勲三等宝章を授かる |
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2003年「安田高等女学校職員生徒慰霊碑」に頭を垂れた時には慰霊碑を拝見しただけでしたが、正門正面のこの碑を注視してみることはなかったようです。
2012年交流ウォーク下見で訪ねた時、この「安田リヨウ記念碑」に近づきみました。
記念碑の制作が若山裕昭となっていました。
安田リヨウ先生は、安田学園の創立者として広島ぶらり散歩「広島ゆかりの人たち」編に加わっていただかなければならない人物ではありますが、「野外彫刻など」編の頁としても編集しました。 |
12.12.25.裕・記編集 |