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中区土橋町に建てられている「無衰山古今院・浄國寺」です。 |
浄國寺は浄土宗のお寺です。本尊・阿弥陀如来。
(以前は、広島新四国八十八ヶ所霊場 第七十二番でしたが、いまは霊場ではありません。)
知新集によると
「廣島新開西地方町にあり、開山短譽文慶ではじめ高田郡吉田にあり一寺を草創し浄國寺と号し住持していたが福島正則が吉田に行き三日ほど逗留した時、文慶の願いを聞きいれ、慶長年間に寺地(此地は毛利輝元の別荘地であった地)を与えられ一宇を開基しました・・・」とあります。
戦後お寺は区画整理で、被爆した時の半分ほどになったと聞きますが、被爆した墓石や、地蔵尊、石仏などがいまの境内の西側に移され供養されています。 |
浄国寺に西地方・西新町町民慰霊碑、広島県防空機動隊員慰霊碑があることを資料をみて知ったのです。先日西国街道の資料を見ているとこのお寺に誓真さんのお墓があることも知りました。今(2004年)回撮影に行ったはいいのですが、慰霊碑はすぐに解りましたが、誓真さんのお墓が??庭の花に水をやっておられたご住職の奥様?に手を止めていただき、建立場所を教えていただき、撮影させていただきたいとお願いして撮影しました。 |
2006年5月本堂・庫裡が火事になり、再建のことなどで、霊場を返上されたようで、現在(2008年1月版の)「広島新四国八十八ヶ所霊場巡礼の手引き」では削除されていますので、お寺を2008年9月再び訪ね、被爆した墓石などや本堂、工事中でしたが東側の墓苑入口の門を撮影させていただきました。 |
09.03.06更新 04.09.21裕・記編集 |
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08.09.04.撮影 |
広島市中区土橋町2-4 |
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04.08.27.撮影 |
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(南側)墓苑から本堂をみる |
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04.08.27.撮影 |
08.09.04.撮影 |
浄国寺墓苑への入口(東側入口) |
新しい入口の工事が行われていました |
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04.08.27.撮影 |
04.08.27.撮影 |
西地方・西新町町民慰霊碑 |
広島県防空機動隊員慰霊碑(手前側≒西側) |
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08.09.04.撮影 |
08.09.04.撮影 |
被爆して無縁になった墓石が集められていました |
被爆したと思われる地蔵尊 |
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04.08.27.撮影 |
04.08.27.撮影 |
浄国寺・歴代住職の方々の(被爆した)お墓 |
宮島杓子考案者・誓真さんの(被爆した)お墓 |
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