広島県防空機動隊員慰霊碑
  中区土橋町の浄国寺に建立されている「広島県防空機動隊員慰霊碑」です。
原爆や戦争の犠牲になった広島県防空機動隊員を慰霊するため、1947(昭和22)年8月15日に建立されたそうです。
木柱碑は朽ちてきており「広島県防空機動隊員慰霊碑」と記されていたそうですが現在は判読できません。
1971(昭和46)年11月「広島県防空機動隊戦病没者慰霊碑」が三滝寺境内に建立されています。
防空法という法律が、1937(昭和12)年4月5日に公布され、同(昭和12)年10月1日より施行されています。
〔1941(昭和16)年および1943(昭和18)年に改正され、戦後1946(昭和21)年1月31日に廃止されています。〕
空襲(航空機の来襲)によって生じると想定される被害軽減のため「軍以外の者」がおこなう「灯火管制、消防、防毒、避難及救護並ニ此等ニ関シ必要ナル監視、通信及警報」を「防空」と定義しています。
都道府県知事が計画を策定するとありますので、広島県でもその任に当たる部隊として民間人で結成されたのでしょう。
日本本土への初空襲は、
1942(昭和17)年4月18日のドーリットル空襲で、航空母艦「ホーネット」から陸上機である16機のB-25中型爆撃機を発進させ、東京、川崎、名古屋、四日市、神戸などへの空爆がはじめてだったようです
浄国寺に西地方・西新町町民慰霊碑、広島県防空機動隊員慰霊碑が建立されていることは資料をみて知ってはいたが、2004年に撮影に行き、この頁を編集しました。
2015年久しぶりに訪ね撮影しましたので、この頁を再編集しました。
広島県防空機動隊というものが(いまのわたしには)わかりません。
しかし、
戦時中の、「防空業務従事令書」というもので、医者(歯科医師も)など医療従事者は疎開を禁止されている事を知りましたので、防空という言葉の定義をWikipediaで調べたので、この頁に取り上げてみました。
15.06.14.再編集     04.09.21裕・記編集
関連頁 (三瀧寺に建立の)広島県防空機動隊戦病没者慰霊碑

08.09.04.撮影
広島市中区土橋町2-4  浄国寺(墓苑入口)

04.08.27.撮影
被爆して笠も壊れた宝塔  西地方・西新町町民慰霊碑(向側≒東側)  広島県防空機動隊員慰霊碑(手前側≒西側)

04.08.27.撮影

08.09.04.撮影

15.03.31.撮影

15.03.31.撮影
(碑を後側からみました)

15.03.31.撮影

15.03.31.撮影

15.03.31.撮影
被爆した宝塔   西地方・西新町町民慰霊碑   広島県防空機動隊員慰霊碑



「原爆関連慰霊碑等巡り」編
「平和祈念碑等建立地一覧」編



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浄国寺
(境内建立の)西地方・西新町町民慰霊碑
(境内建立の)広島県防空機動隊韻慰霊碑
(墓苑の)誓真さんのお墓
(移され供養されている)被爆した墓石など


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