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中区大手町の平和大通り南側緑地帯に建立されている「広島・長崎青年交歓記念碑」です。 |
碑建立: |
1986(昭和61)年8月15日。由来記建立委員会 |
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(記念碑は、広島市役所旧庁舎の被爆石で造られました) |
由来記建立委員会: |
松本春美、岩田幸男、土井清次郎、佐々木久子、勝丸博行 |
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世界最初の原爆を体験した広島と長崎の青年たちが、昭和二十四(1949)年十一月十二日、広島市で原爆都市青年交歓会を開き、反戦と反核のために立ち上ることを決意したとき、原爆症のため如己堂※で病臥中の永井隆博士は、世界恒久平和確立の願いを込めて、庭に咲いていたこの薔薇の樹を贈ってこられました。 |
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1949(昭和24)年11月碑文(上記)にあるように永井隆博士が「広島市民がバラのように美しく幸福に送れるように」との願いを込め自宅庭のバラ1株を寄贈されました。
そのバラは、広島市役所庁舎前庭に植えられました。
ここで取り上げている記念碑は、(当初)1986(昭和61)年8月15日市役所庁舎前に建立されました。
1988(昭和63)年3月24日現在地に移設されました。
この時、永井博士から贈られたバラは市役所前庭に残されました。
この記念碑根際に植えられたバラは、新たに永井博士宅にあった「バラの子孫」を分与されたものだそうです。 |
※ |
2014年4月17日撮影したバラは、もとのバラが樹勢を回復するまでの“代役”として2013年3月に植えられたものそうです。代役のバラは、市役所前庭の永井博士から贈られたバラを接ぎ木で苗を増やしていたものの一本だそうです。 |
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永井隆(ながいたかし:1908-1951) |
昭和時代の医学者。島根県松江市出身。長崎医科大学(現長崎大学医学部)卒。
母校の物理的療法科部長のとき放射線障害をおう。さらに1945(昭和20)年8月9日(木)11時2分米軍投下の原子爆弾で被爆(爆心地から700mの大学研究室で)するが負傷者を救護。1946(昭和21)年教授。カトリック教徒として原爆廃止を祈り、病床で「長崎の鐘」「この子を残して」などを口述した。 辞世『白ばらの花より香り立つごとくこの身をはなれ昇りゆくらん』 |
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※如己堂(にょこどう) |
二畳ほどの小さな部屋は、病臥中ながら10数冊の著書を通して平和活動を続けた永井隆博士の住まいで博士はここを「己のごとく人を愛する」という意味で〈如己堂〉と呼ばれていたそうです。
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資料を見ていたらこの「広島・長崎青年交歓記念碑 (1)」が建立されていることを知り撮影に行ったのです。 |
(全く無知だったわたしは))少しづつ原爆関連の慰霊碑祈念碑などを知ってきていますが、まだまだ広島のことを知らないのですが、長崎のことになったらさっぱりといっていいほど知らないのです。恥ずかしいことに、「長崎の鐘」を書かれた永井隆博士のこと、如己堂のことも知りませんでしたので、この碑の関連として少しばかり調べました。
2005月10月14日(わたしは)長崎市の如己堂、永井隆記念館にいってきました。 |
2014年2月17日中國新聞にこの“永井博士のバラ”について次のような記事がありました。 |
『長崎の被爆医師・永井隆博士ゆかりのバラの木が衰弱しているのを受け、この木を1988(昭和63)年に植えた民間団体の関係者らが保存のための工事を始めた。バラの木は、樹勢回復を目指して広島市植物公園に移設。約1年かけて必要な処置をしてもらい、元の場所に戻す。
工事は、衰弱の原因となった日照不足や、周辺の土が踏み固められるのを防ぐのが狙いで、高さ約80cm、長軸約2mの六角形状に木杭囲いを設け、周囲の木も剪定する。約45万円の費用は、当時植えた市青年連合会の役員らでつくる「広島・長崎原爆都市青年友好平和のバラ保存委員会」が、市民からの寄付で賄い、4月末までに終える。・・・』 |
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広島・長崎平和のバラ
このバラは永井隆博士の庭から贈られたものです。
1908(明治41)年松江市で生まれ三刀屋で育つ。松江高等学校より長崎医科大学に進む。卒業後放射線物理療法に取り組み1945(昭和20)年6月に白血病と診断される。同年8月9日被爆〔長崎医大爆心地から700m〕重傷を負いながら被爆者の治療に取り組む。病床でも執筆活動を続け「長崎の鐘」「ロザリオの鎖」「この子を残して」などを残した。1951(昭和26)年に逝去。 |
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2009年みた時枝が折れて手入れされた跡がありましたが、2014年中國新聞報道(上記)で知りましたので、4月17日、日赤での定期健診の後立ち寄って撮影しました。
永井博士のバラ、この記念碑の事など新聞記事ではわからないことがありましたので、資料見直しましたので、建立経緯などを追記しました。 |
2015年永井博士邸のバラについての説明板が設置されていました。その後、もうひとつ説明板が段取りされていましたので、撮影画像を加えこの頁を更新しました。 |
15.03.29 更新 14.05.17.再編集 05.01.05裕・記編集 |