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南区皆実町の皆実平和住宅集会所前にある「シュモーの庭」です。 |
シュモー博士などによってこの地に造られ(広島市に寄贈され)た住宅は、「皆実町平和住宅」と名づけました。その横に残った狭い三角地を利用してシュモーは築山、ベンチ、石灯篭などを配した庭園を造ったそうです。
それがここで取り上げた「シュモーの庭」です。 |
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敬虔なクエーカー教徒であったシュモーが1948(昭和23)年に広島にララ物資※を届けに来た時知った住み家を失った市民のため、住宅建設資金の募金運動を始め、翌(1949)年7月には広島を訪れ、寄せられた募金と学生30人余りの応援も得て労働奉仕により皆実町にまず4戸の木造住宅を建設し、市に寄贈(『皆実町平和住宅』と名づけられた)するなど、広島市の復興に大きな役割を果たしました。
住宅横に残った狭い三角地を利用してシュモーは築山、ベンチ、石灯篭などを配した庭園を造ったそうです。 |
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30年を経過して老朽化したため附近の市営住宅とともにRC造の集合住宅に建替えられ、シュモーの石灯籠を中心に庭園も再興され現在に至っています。1983(昭和58)年11月再興。 |
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クエーカー:
(Quake)r |
〔ふるえる人の意〕
キリスト教プロテスタントの一派。人は神からの啓示を直接に受け得ると説く。17世紀の中頃、当時のキリスト教の儀式化・神学化に反対したフォックス(G.
Fox 1624-1691)によって英国に起こり、ペン(W. Penn 1644-1718)によって米国で盛んとなった。絶対平和主義で、反戦運動・平和運動で知られる。フレンド会。基督友会(キリストゆうかい)。
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ララ:
(LARA) |
〔Licensed Agency for Relief of Asia〕アジア救済連盟。
1946(昭和21)年、アジアの困窮者救済のため、米国の宗教・労働・社会事業などの13団体で組織された機関。食糧・医薬・衣料などを日本・朝鮮をはじめ各国に供与した。
「ララ物資」は1952(昭和27)年まで続いた。 |
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わたしがフロイド・W・シュモーの事を知ったのは御幸橋の撮影に行ったとき西詰北側に設置されていた‘ヒロシマの忘れ得ぬ人びと’という説明板だったのです。 |
2014年になって、中区江波のシュモーハウスを見学したのです。
その時、係員の方といろいろ話をした中で、ここ皆実町のシュモーの庭の石燈籠の話をした時、「もともとの燈籠には宝珠がなく、のちに誰かが載せたものと思われるのですよ」と教わりました。
展示パネル(完成記念写真)の中にこの石燈籠が写っており、それには宝珠がないのでそう考えられますと云うことでしたので、その展示パネルを撮影しこの頁に下段に加えました。
いまになれば、石燈籠の頁を編集して来ましたので、石燈籠本体と宝珠のバランスが悪いな〜と思いますが、2005年みた時は何の疑問も持たなかったわたしでした。 |
2015年久しぶりに訪ねました。
2005年に無かった『皆実平和住宅と「祈平和」灯ろう』という説明版(下画像)が設置されていましたが、すでに色あせ読みにくくなっていました。もったいないな〜と思うとともに、2014年見学した江波のシュモーハウスと一緒にこれからも開かれた資料として保存していければと思いましたが。
掲載画像も見直し、今回撮影の画像も加え、この頁を再編集しました。 |
15.10.02.再編集 05.02.17裕・記編集 |