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中区江波二本松に建てられている「シュモー会館」です。 |
※1951(昭和26)年建てられたシュモー会館(地域の集会所)でしたが、南道路建設のために移設され2011(平成24)年11月広島平和記念資料館・シュモーハウスとして リニュアルオープンしています。 |
原爆を投下した米国にも原爆投下に心痛めた人たちはおられ広島の復興をねがった、その一人がここにとりあげたフロイド・W・シュモー博士※(1895-2001)なのです。 |
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尊敬を込めて博士と呼ばれていましたが、実際は博士号は取得していなかったそうで、1983(昭和58)年その事を知ったタフツ大学准教授だった秋葉忠利(2012年現在前広島市長)が同大学に「ヒロシマの恩人」シュモー氏に『人間愛』の名誉博士号を贈ろうと呼びかけ実現したそうです。 |
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中國新聞記事で博士の称号について知り、参考にしました。 07.8.28追記 |
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江波二本松の「シュモー会館」の名は、この館を建てた米国の森林学者シュモー博士(Floyd W. Schmoo 1895-2001)に由来します。
原爆によって家を失った広島の人々に一軒でも多くの家を建てようと、氏の呼びかけによって募金活動が始まり、昭和24(1949)年、約4000ドルが集まりました。同(1949)年8月シュモー博士は広島を訪れ、集まった募金を市に贈るとともに、地元学生らの協力のもと、自らも汗を流し、まず皆実町に4戸の家を完成させました。このヒューマニズムあふれる援助は、当時「国境越えた愛の聖汗」と賞賛されました。
その後も毎年のように広島を訪れ、あわせて19戸*もの家を建てています。この「シュモー会館」は、その中のひとつで、昭和26(1951)年に公民館として建てられたものです。
氏はこう語っています。「戦争で一番深刻に傷ついたのは国家ではない、都市でもない、ただ個人である。平和運動は言うことではない、行うことである」。彼のこの言葉の実践がシュモーハウスの建設だったのです。 |
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シュモー博士の回想録「日本印象記」には、初めて広島を訪れた時の住宅建設の経緯がユーモアたっぷりに描かれており、当時の外国人が見た広島の様子がいきいきと映しだされていて、大変興味深い内容になっています。
広島市の戦災復興は、市民のたゆみない努力の賜物であることはいうまでもありませんが、海外からの温かい善意と浄財に追うこともまた大きかったことを「シュモー会館」は私たちに語りかけています。
なお、シュモー博士の功績を称え、広島市は昭和58(1983)年、特別名誉市民の称号を贈っています。 |
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シュモー会館に設置されていた説明板には19棟としていましたが、
市民局 国際平和推進部 平和推進課の資料によると
建設期間:1949(昭和24)年〜1953(昭和28)年、計21戸
皆実町1丁目-4戸。江波東1丁目-1戸。江波二本松1丁目-11戸(うち公民館1戸)。牛田東2丁目-5戸。 |
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14.01.26裕・追記 |
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新聞報道で秋葉広島市長(在任:1999年2月-2011年4月)が移転先未定で移転保存する方針を2004年10月22日に明らかにした事を知りました。なかなか撮影に行けませんでしたが先日の「シュモーの庭」に続き撮影に行きましたが、場所がわからずご近所の方々に何度かお聞きし、親切に教えていただき撮影することができました。 |
今(2007)年、2年ぶりに訪ねてみました、(借金だらけの広島市の財政からか)移転保存については進んでいないようでした、物質というものは永久保存ということは難しいと思うわたしです、人も寿命というものがあります、永遠不滅なるものがあるとすれば精神・・・次の世代に受け継がなくてはならない精神こそ失ってはならないことと思いながら、シュモー博士が指し示してくれた「広島市民に対する暖かさ」を・・・そんな事を思いながら佇んでこの会館をみていました。 |
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2011年大晦日、中國新聞に
『広島市は2012年1月、米国の平和活動家で特別名誉(広島)市民の故フロイド・シュモー氏が被爆者のために建てた「シュモー会館」を移転・保存する。
広島南道路の建設予定地にあるためで、建物を移動させる。移転後は被爆者援助に尽力した外国人の功績を紹介する施設に改修する。周辺では既に南道路の工事が始まっているので、広島市は移転先として、現在地より北西≒40mの国有地を購入。「曳き家」と呼ばれる工法で、レールの上に建物を載せ、ウインチで引いて移動させる。シュモー会館は1951(昭和26)年に建てられた54.5u木造平屋です。』という記事でした。 |
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2012年1月27日ラジオを聞いていたら、今日から「シュモー会館」を移転させる。「曳き家」の工事が始まったと報道していましたので追記しました。 |
曳き家が終わり2012年11月平和記念資料館附属の施設「シュモーハウス」になってから随分経ちましたが2014年1月見学しましたので、別頁で編集します。破風板下の妻壁に取り付けてあった「龍」が取り外されており撮影したので、この頁に画像を追加しました。 |
14.01.26.追記 05.02.25裕・記編集 |