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中区江波二本松に開館している「シュモーハウス」です。
※もともとは集会所だった“シュモー会館”を曳家・改築して開館したのが「シュモーハウス」です。 |
シュモー会館(地域の集会所)だった建物でしたが、2011(平成24)年11月1日(木)シュモーハウスとして広島平和記念資料館・シュモーハウスとしてリニュアルオープンしたのです。
月曜休館(祝祭日の時は開館、次の日休館)。無料です。9:00〜17:00。駐車場なし。 |
原爆を投下した米国にも原爆投下に心痛めた人たちはおられ広島の復興をねがった、その一人がここにとりあげたフロイド・W・シュモー博士(1895-2001)なのです。 |
広島平和記念資料館 シュモーハウス
「シュモーハウス」の名は、米国のフロイド・シュモー(1895-2001)氏に由来します。氏は広島・長崎への原爆投下に心を痛め、住まいを失った広島の人々のために家を建てる活動を進めました。
この建物は1951(昭和26)年に集会所として建てられたものです。
道路の整備に伴い、集会所としての役割は終えましたが、2012(平成24)年に南東約40m離れた場所から当地に曳家(ひきや)移転して保存され、被爆後の広島に寄せられた海外からのさまざまな支援を伝える展示施設になりました。 |
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原爆被爆者のため建設された シュモーハウス
アメリカの森林学者で平和運動家、フロイド・シュモー博士(特別名誉市民)が、原爆の被爆者のために建てられた住宅など21棟*のうち、唯一現存しているもので、集会所として利用されていました。2012年(平成24)年広島南道路の建設に伴い現在地から南東方向約40mにあった建物を移転し、同(平成24)年11月から平和記念資料館の附属展示施設として開館しました。 |
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以前のシュモー会館に設置されていた説明板には19棟としていましたが、市民局
国際平和推進部 平和推進課の資料によると
建設期間:1949(昭和24)年〜1953(昭和28)年、計21戸
皆実町1丁目-4戸。江波東1丁目-1戸。江波二本松1丁目-11戸(うち公民館1戸)。牛田東2丁目-5戸。 |
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上画像の説明板「現存しているもで」と記述していますが、「もので」の“の”字が抜けています。 |
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「シュモー会館」を「曳き家」工事で現在地に移転して2012年11月新しく「シュモーハウス」として開館したと報道で知っていましたが、今(2014)年1月になりましたが見学しました。
まだ、前面の南道路工事が行われており、工事のガードマンの方に行き方を教わり行きました。
[当日は、舟入通り(おさん通り)に面した江波郵便局北側道路から周ってしか行くことができませんでした] |
係員(江波の方でボランティアの方)がおられ、いろいろと説明していただきました。
工事中撮影したいな〜と思っていても撮影しなかった「曳き家工事」のDVDもあるという事で、拝見させていただきました。スペース的な事もあるでしょうが、シュモーハウスとして開館した目的の『海外からのさまざまな支援を伝える展示施設』としては、まだまだ整備途中だなと(わたしは)思いました。 |
2014年3月23日開通したと広島南道路と(高架の)広島高速高速3号線越し(南側から)にシュモーハウスを(2014年)9月みました周辺整備は残っているようでしたが撮影していました。2015年になりましたが画像を加え頁を更新しました。 |
15.07.15.更新 14.01.27.裕・記編集 |