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中区江波二本松のシュモーハウス(無料・平和記念資料館分室)に展示されている「シュモーが建設した住宅の模型」です。 |
シュモー会館(地域の集会所)だった建物でしたが、2011(平成24)年11月シュモーハウスとして広島平和記念資料館・シュモーハウスとしてリニュアルオープンしたもので、資料的(量質に関して)にはまだまだ整備途上なのではと(わたしは)感じがながら見学しました。 |
皆実(みなみ)町に建設された住宅(模型)
住宅は台所、トイレ、6畳の和室二間という間取りでした。
当初、台所やトイレなどにシュモー氏たちは、独自の改良*を加えようとしましたが、当時の日本の生活様式を尊重し、広島市が企画した市営住宅と同じ案を採用しました。
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(わたしは)わかりませんでしたが、居られた係員の方に教えていただきました。
風呂付の住宅計画だったそうです。
米国的にはバス(風呂)があるのが当時でも一般的であったからでしょうね。 |
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シュモーが1948(昭和23)年に広島にララ物資を届けに来た時知った住み家を失った広島市民のため、住宅建設資金の募金運動を始め、翌(1949)年7月に広島を訪れ、寄せられた募金と学生30人余りの応援も得て労働奉仕により皆実町にまず4戸の木造住宅を建設し、市に寄贈しました。それらは「皆実町平和住宅」と名付けられました。 |
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わたしが子どものころはわが家にも風呂は無く銭湯に連れて行ってもらっていました。
池田首相(在任:1960-1964)の所得倍増政策で所得が増えてくるとともに自宅に風呂(内風呂)が一般的になってきたのではないかと(わたしは)思うのですが。 |
2005年南区皆実町の皆実平和住宅に立寄った時は、既にシュモー氏たちが建設した住宅はなく、集会所の庭に残る燈籠で僅かに残り香に接することが出来たのですが、どういう住宅だったかは知らなかったのです。
今(2014)年中区江波のシュモーハウスを見学した時、シュモー氏が建設した皆実平和住宅の模型が展示されていましたので、撮影しこの頁を編集しました。
2019年平和記念資料館・東館の展示資料をみていると、建設中の写真がありましたので撮影していましたので、この頁を更新しました。 |
20.10.15.更新 14.01.29.裕・記編集 |