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中区江波二本松の江波山公園・展望公園に建立されている「母子愛の碑」です。 |
すべての命に愛を 母子愛の碑
原子爆弾による江波町有縁者の犠牲者は、推定1万数千人に及んでいます。
犠牲者の魂安かれと祈るとともに核兵器の根絶を願い、原子爆弾による惨劇から半世紀経った平成7(1995)年に建立されました。
「平和希望}を礎に、不変の真理である「おやこ愛」と「生命の尊さを訴えています。
作者は、中国広州美術学校・曹崇恩教授です。 |
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犠牲者を慰霊するため、1993(平成5)年江波地区社会福祉協議会により木碑が建立され、慰霊祭が行われました。その後、被爆50周年を前に、江波での出来事の風化を防ぐためにも本格的な碑を建てようとの声が高まり、木碑のあった場所にこの像が建立されたそうです。 |
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昭和20(1945)年8月6日(月)午前8時15分、一発の原子爆弾は相生橋上空五百数十米において炸裂した※注。一瞬にして街は阿鼻叫喚の巷と化した。
わが江波町の人的物的被害は中心部に比して軽かったが、時を経ずして多くの負傷者が見るも無残な姿で殺到し、その数は一万人を突破した。一方、炎熱に耐えかねて本川に入水した無数の死傷者が折りからの下げ潮にのって江波町の波打ち際に漂着して来た。 その日は、江波町は夏祭りであったが暗転して惨劇の街と化していった。肉親探し、救援、看護、更には火葬等の諸活動は町内会、警防団、婦人会等、役割を分担しながら秋までも続いた。
あれから時は流れて半世紀、今日に至る江波町有縁の犠牲者は推定1万数千名に及んでいる。襟を正して、これらすべての犠牲者の魂安かれと祈ることは現代に生きる者の責務であろう。更には人類の滅亡につながる核兵器の廃絶を願い、不戦の決意も新たに、ひいては世界恒久平和の実現を誠実に希求するその証として、心ある人々の浄財をもってこの碑を建立するに至った。碑面は「平和希望」を礎に、不変の真理である「おやこの愛」と「生命の尊さ」を訴えた。作者は中国広州美術学院教授・曹崇恩先生であり、日中友好の掛け橋ともなればとの想いも含まれている。願わくばこの心を子々孫々に至るまで受け継ぎ護り給わんことを。 |

平成7(1995)年8月7日 除幕
江波地区社会福祉協議会 |
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2005年この「母子愛の碑」を訪ね撮影して頁を編集しました。この碑を紹介することだけを考えていたわけではないのですが、曹崇恩作の母子愛像が巧く撮影できていませんでした。
それから何度かは訪ねてはいましたが、2011年交流ウォークで訪ねた時、この碑を見た時、レリーフがはっきりしていて、刻まれている原爆ドームなどがよくわかったので撮影しました。
今(2011年)回「広島ぶらり散歩」を引越していますので、画像を差替え、加えてこの頁を更新しました。 |
2015年撮影しましたので、この頁を再編集しました。
今回碑文とは別に、「Forevwr ほぉ〜江波!」の会2013年2月制作の説明板を掲載しました。 |
15.07.17.再編集 05.03.16裕・編集 |