尾長町慰霊碑

  東区曙の尾長公園に建立されている「尾長町慰霊碑」です。
尾長町慰霊碑は、昭和43(1968)年12月、尾長町内会慰霊碑建設委員会によって建立されました。
尾長町、曙町(4丁目、5丁目)の方々の慰霊碑として建立され、建立1986年時点で、原爆死没者240名の方々を慰霊して建立されたそうです。
広島市の資料によると、
尾長町(爆心地から≒2,900m)曙町4丁目(爆心地から≒3,500m)曙町5丁目(爆心地から≒3,700m)の原爆犠牲者を慰霊するため建立されました。
これらのまちでは1945(昭和20)年末までに32人が犠牲になった。』とあります。
広島原爆戦災誌によると
被爆当時、尾長町は尾長町東山根(265戸265世帯1058人)、尾長町西山根(115戸120世帯490人)、尾長町丸山(115戸127世帯455人)、尾長町片河(439戸416世帯1673人)、尾長町尾長(220戸288世帯1232人)、尾長町岩鼻(58戸61世帯256人)、尾長町三本松(157戸157世帯720人)とわかれていました。
尾長町で全壊≒1%、半壊≒90%、小破≒10%、無事≒1%、即死者≒16%、負傷者≒26%、無傷の者58% ;尾長町岩鼻で全壊≒1%、半壊≒30%、小破≒70%、無事≒1%、即死者≒30%、負傷者≒70%、と記述があります。
8月6日尾長分隊(東山根地区)220人が鶴見町の家屋疎開作業に出動中(作業打合中)に被爆しましたとあります。
2005年訪ね、撮影しましたが、碑文は慰霊碑の廻りには見当たりません(気がつきません)でした。
2011年、2012年にも訪ね撮影していました。2014年のいまになりましたが、資料をみると、上記のような記述がありましたので、追記し、この頁を再編集しました。
14.09.28再編集    05.05.15裕・編集

05.04.16撮影
広島市東区曙2-4 尾長公園

05.04.16撮影

05.04.16撮影
広島市長 山田節男(揮毫)

05.04.16撮影
明治百年記念事業昭和43(1968)年12月建之  尾長町内会慰霊碑建設委員会

11.06.07.撮影
(慰霊碑に変りはありませんが、後ろのお好み焼きさんが、2011年には変っているようでした)

12.01.14.撮影



「原爆関連慰霊碑等巡り」編
「平和祈念碑等建立地一覧」編



広島ぶらり散歩へ
尾長公園
尾長町慰霊碑


inserted by FC2 system