(広島高等師範学校附属中学校)謝恩碑

  南区翠の広島大学附属中・高等学校内に建立されている「(広島高等師範学校附属中学校)謝恩碑」です。
原爆関連の慰霊碑として、この「(広島高等師範学校附属中学校)謝恩碑」が、1981(昭和56)年8月に建立されていますが、2005(平成17)年になって「廣島等師範學校附属中學校原爆死没者・戰没者慰靈碑」が原爆死没者、戦没者のお名前を刻んで建立されています。(この頁では、謝恩碑を取り上げています。)
  太平洋戦争末期、全国の主要都市が焦土と化しつつあった昭和20年春に入学した我々広島高等師範学校附属中学校1年生100余名は8月6日人類初の原子爆弾により千田町の母校で11名の級友を一瞬にして失った。しかし、他の大多数は被爆直前に広島を離れ、科学学級は比婆郡東城町、普通学級は賀茂郡原村へとそれぞれ農村挺身隊等の名目で学校を挙げて疎開したため、危うく全滅を免がれ得たのである。これは、厳しい戦時体制下でありながら冷静な情勢判断を下した母校と恩師をはじめ多くの関係者の御尽力の賜に外ならない。
爾来幾星霜、原爆のため止むなく多くの友が去って往った一方、その後新たに多数の級友を得て、いま卒業30周年を迎えるに当り、ここにその経緯の概要を記し母校に深甚なる謝意を表すると共に、亡き友の冥福を祈り後代にこの事実を語り継がれんことを願い、之を建立するものである。
(しゃおん)
謝恩:
受けた恩(≒他の人から与えられためぐみ)に対する感謝の気持ち。
また、その気持ちを表すこと。
資料で知ったこの碑、2005年交流ウォークで訪ねた時は建立場所が(わたしには)わからなかったのです。
後日、改めて訪ね、訪者帳に記帳しバッチを付けて構内を探し始めた校舎西北の事務室の斜め後ろに建立されていましたので、撮影しこの頁を編集しました。
2015年久しぶりに訪ね、撮影しましたので、この頁を再編集しました。
15.07.04.再編集     05.12.04裕・記編集

05.11.22撮影
広島市南区翠1-1-1 (広島大学附属中・高等学校内)

05.11.22撮影

05.11.22撮影
アカシア会41回生   昭和56(1981)年8月

15.07.02.撮影

15.07.02.撮影

15.07.02.撮影
(正面) 謝恩碑

15.07.02.撮影
(裏面:碑文)

15.07.02.撮影



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