(移設後)新・三菱造船職員慰霊之碑

  西区観音新町の三菱重工広島製作所(観音工場)に建立されている「三菱造船職員慰霊之碑」です。
※もともとは観音新町の三菱会館裏に建立されていましたが、南道路建設で移設されることになったそうです。
※もともとの慰霊碑を移設したのではなく、新しい意匠(デザイン)の慰霊碑が建てられています。
三菱重工は爆心地から遠く工場での死亡者は少なかったそうですが、建物疎開作業で雑魚場町に出ていた約60人が被爆死したそうです。、
1945(昭和20)年8月6日米軍投下の原爆による215名の犠牲者の慰霊とともに職務災害で亡くなった殉職者も慰霊対象だそうです。
当初の慰霊之碑建立は、1960(昭和35)年1月5日だそうです。
ここで取り上げた新しい慰霊之碑は、2010(平成22)年4月に工場敷地内に新しく建立されています。
1960(昭和35)年建立された慰霊之碑は、広島南道路工事(碑は直接的に工事にかかる位置ではないのですが)に伴って移設されたと聞きました。
もとの碑を移設するとなると解体し、復元する手間費用などを考えれば、移設に際しては新設するという選択がされたのでしょう。
移設後の慰霊之碑をみた時、以前とは違うデザインの碑である事に気が付き、案内していただいた方にお聞きしましたが、その経緯については御存じないようでした。
敷地の関係もあったのでしょう、小ぶりな慰霊之碑になっていました。
以前の碑が横書きの“慰霊之碑”とありましたので、移設された碑も縦書きではなく横書きの慰霊之碑であったらな〜と(わたしは)思いました。
2005年(元あった処で)撮影し(旧)三菱造船職員慰霊之碑を撮影し頁を編集していました。
2015年被爆70年ですので、「原爆関連の慰霊碑」を再度巡り、久しぶりに原爆忌の日にここ観音新町の 「三菱造船職員慰霊之碑」を訪ねのです。
北側すぐのところに広島高速3号線・広島南道路が2014年3月開通し周りの風景は変っていました。そして、慰霊碑はとみたのですがないのです。(慰霊碑があった前の建物)三菱広島組合会館で尋ねたのです。「南道路建設に伴って三菱重工の工場敷地内に移設された」と云う事でした。
教えていただいたので、三菱重工工場入口・門監所で原爆慰霊碑をお参りし撮影したい旨を告げました。
守衛の方に上記の事をお願いしましたので、担当部署と思われる処に連絡していただき、許可がおり、担当者の方に建立場所まで案内していただきました。
みると(旧デザインとは違う新しく建てられていた)慰霊碑でしたので、尋ねたのですが、経緯については詳しく御存じでないようでしたので、碑裏面をみると建立年が刻まれていました。
撮影させていただきましたので、この頁を編集しました。
15.08.19.裕・記編集

15.08.06.撮影
広島市西区観音新町4-6-22  三菱重工広島製作所(観音工場)

15.08.06.撮影

15.08.06.撮影

15.08.06.撮影
慰霊之碑 平成二十二年四月建立

15.08.06.撮影

15.08.06.撮影

15.08.06.撮影

15.08.06.撮影



「原爆関連慰霊碑等巡り」編
「平和祈念碑等建立地一覧」編



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