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東区尾長西の瀬戸内高等学校に建立されている「(旧制)松本商業学校職員生徒慰霊碑」です。 |
松本商業学校(被爆時松本工業学校)では、動員先の工場から再動員され、水主町(現在の加古町)の県庁付近(爆心地から≒900m)へ建物疎開作業に出動した1年生を中心に大きな被害を受け、犠牲となった職員・生徒50数人を慰霊するため碑が、1966(昭和41)年建立されました(在職在学中の物故者も合祀されているそうです)。 |
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1945(昭和20)年8月6日(月)建物疎開作業で、県庁付近・鶴見橋付近・(皆実町)電信隊付近の建物疎開に動員されていました、また府中町の藤川製作所へ動員されていた生徒は代休だったそうです。 |
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上記動員資料は平和記念資料館の資料を参考にしました。 |
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正面: |
慰霊碑 |
裏面: |
理事長 太田勝 建之
昭和四十一(1966)年七月 |
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1901 |
明治34年4月15日 |
賀茂郡西条町吉行(現東広島市)に小学校教員養成の私立松本学校創立 |
1914 |
大正3年4月1日 |
商業教育を目的とする松本商業実務学校を設立開校 |
1927 |
昭和2年4月1日 |
広島市尾長町355の1(現在地)に校舎移転 |
1944 |
昭和19年4月1日 |
広島県松本商業学校を(国策により)広島県松本工業学校に改組 |
1945 |
昭和20年8月6日 |
原爆により校舎・付属施設備品等全焼し、教員1名・生徒53名被爆死
*2015年の資料では教員2名・生徒54名被爆死となっています。 |
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昭和20年12月1日 |
第1・第2校舎再建、昼間二部制授業開始 |
1946 |
昭和21年4月1日 |
広島県松本工業学校を廃止、広島県松本商業学校に改組 |
1948 |
昭和23年5月3日 |
学制改革により広島県松本商業学校を広島県松本商業高等学校に移行開校 |
1972 |
昭和47年9月1日 |
学校法人瀬戸内学園 広島県瀬戸内高等学校と改名 |
2002 |
平成14年4月1日 |
男子校から男女共学となる |
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資料は瀬戸内高等学校の2007年の資料を参考にしました |
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広島駅からそう遠くはない瀬戸内高校内にこの慰霊碑があることは資料を見たときからですのでだいぶ前から知っていましたが、今(2006年)回訪ね、亡くなった方々へのご冥福を祈り頭を垂れ、碑を撮影させていただきました。 |
2007年も訪ね、撮影しました。松本商業学校の略沿革を追記しました。 |
07.08.20更新 06.06.16裕・記編集 |