韓国人原爆犠牲者慰霊碑移設お知らせ板

  中区堺町の本川橋西詰(北側)に建立されていた“韓国人原爆犠牲者慰霊碑”の「移設お知らせ板」です。
1999(平成11)年7月平和記念公園内に移設されました。
韓国人原爆犠牲者慰霊碑は、当初朝鮮王家の一族李殿下が原爆被災後にその姿を発見された場所に近いという‘ゆかり’から本川橋西詰北側のこの地に建立さていました。
李鍝(イ・ウ:1912-1945)
父は大韓帝国皇帝高宗の五男李堈。陸軍大学校(54期)卒業。
被爆(1945年8月6日午前8時15分)当時第二総軍教育参謀中佐であった李は、馬に乗って司令部へ出勤途中、福屋百貨店(爆心地から710m)付近で被爆。
李は被爆後西方へ馬を飛ばしたが、力尽きて本川橋西詰で抜いたサーベルを手にしたままうずくまっているところを夕刻発見され、ただちに市内似島の病院に収容されたが、翌(8月7日)日午後4時過ぎ死去。
報道を見聞きしていると韓国人の慰霊碑がなにゆえ平和記念公園内に設置できないのかと差別論まで飛びだしていました。
この場所に建立の経緯を知らないことからとわたしは思いましたが。
また、南北統一の慰霊碑にすることもできず韓国人の慰霊碑という事で、1999(平成11)年7月平和記念公園内に移設されました。
00.12.31裕・記編集
   関連頁: 韓国人原爆犠牲者慰霊碑

00.12.29.撮影
広島市中区堺町1‐1 本川橋西詰(北側)



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