瞑想 (ラ・パンセ)

  広島市中区中町附近の平和大通北側緑地帯に建立されている柳原義達作「瞑想(ラ・パンセ)像」です。
碑銘: 瞑想(ラ・パンセ)   作者:柳原義達
建立: 味日本株式会社  1953(昭和28)年7月
世界平和を祈願するとともに会社関係犠牲者の冥福を祈るということと、戦後の復興に市民の潤いになればと(味日本の寄贈で)建立されたそうです。
この像の事を話している時、『戦後10年も経たないうちに‘裸婦像’が平和大通りに設置されことに驚いた』とある被爆者の方に聞いたことがあります。
味日本株式会社概要
明治22(1889)年 広島市塚本町にて鈴木栄助個人経営、砂糖・小麦澱粉・酒・食酢など日用品の卸販売開始
大正15(1926)年3月24日 (味日本前身)(株)鈴木商店設立
昭和12(1937)年2月 味日本製造(株)を合併し、グルタミン酸ソーダ(味日本)・アミノ酸・小麦粉の製造開始
昭和25(1950)年3月 本社を現所在地へ移転。
昭和40(1965)年3月 社名を味日本株式会社に変更
本社所在地: 広島市南区皆実町1-10-8
事業内容:

1)スープ類の製造販売 
2)うまみ調味料・天然調味料・その他食品添加物の製造販売 
3)農畜産・水産加工食品の製造販売 
4)飲食店業ならびに前各号に付帯する一切の事業 
5)その他

従業員:
361名〔2013(平成25)年4月現在〕。 338名〔2023(令和5)年9月末現在〕。
資料は味日本(株)の資料を参考にしました
平和大通りをぶらり散歩していて目に留まる野外彫刻なのです。
資料で平和祈念関連の像で瞑想(ラ・パンセ)の事は知っていましたが、作者がわからなかったのです。
2006年5月の交流ウォークのときに作者が柳原義達ということを教えていただきましたのでこの編集しました。撮影する時題石碑「瞑想」は、この像から少し離れた後側の植込みに設置されていました。
2007年撮影しようとした時、この像の周りや後側の整備工事が行われていました。
2014年みた時には再整備され、足元照明などが整備され、「ラ・パンセ(瞑想) 柳原義達」のプレートが台座に取り付けられていました。
2015年撮影しましたので、この頁を再編集しました。
2023年元号も変わり久しぶりに撮影しました。
23.04.10.更新  15.04.15.再編集  06.06.10裕・記編集
2006年・2007年撮影
2006(平成18)年はじめて撮影しこの頁を編集しました。
2007(平成19)年像周りが整備されていました。

06.05.11.撮影
広島市中区中町附近 (平和大通緑地帯)          (交流ウォーク増田先生撮影中)

07.08.04.撮影
この像の周り後側の整備工事がされていました。   像の左手後ろにあった「瞑想」題石碑が撤去されていました
 
2014年・2015年撮影
2014(平成26)年像周りが整備されていました。撮影した時ドリミネーションの仮設ゲートが段取りされていました。
2015(平成27)年被爆70年でしたので撮影しました。いままで撮影した画像も含め像中心に画像を整理しました。

14.11.18.撮影
この像の前には広島ドリミネーションの段取りがされていました

15.03.21.撮影
像の前に「瞑想」題石碑が設置され、台座に“題と作者”板が取付けられています

06.05.11.撮影

15.03.21.撮影

15.03.21.撮影

06.05.11.撮影

07.08.04.撮影

15.03.21.撮影

15.03.21.撮影
2023年撮影
2023(令和5)年元号も変わり久しぶりに撮影しました。
戦後間もない平和大通りでこの裸婦像が新しい時代を切り開いた時を経て、現在の風景に溶け込むようになったのかなと少し引いて撮影してみました。

23.05.08.撮影
≒西南側から像の正面をみました

23.05.08.撮影
像正面

23.05.08.撮影
≒西北からみました

23.05.08.撮影
≒東北から像の後面みました

23.05.08.撮影
≒東南からみました
敬称略しました



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