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中区南千田町の修道学園に建立されている「(旧制)修道中学校職員生徒慰霊碑」です。 |
修道中学校での原爆犠牲者の多くは、雑魚場町(現在・国泰寺町、爆心地から1,200m)で建物疎開作業中の1年生37人、2年生136人など多くの犠牲者を出しました。
碑は、1946(昭和21)年8月に建てられましたが、占領軍命令で学校及び公共用地等に原爆碑を建ててはいけないと云う命令で、碑の裏面に刻まれていた原爆の文字と建立年月日を削りとり、セメントを塗ったそうです。
現在、犠牲者194名*のお名前が刻まれた銅板が嵌め込まれています。 |
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慰霊碑裏面の「原爆死没者名録」を拝見すると
教職員6名、生徒1年生青木殖さん他30名、生徒2年生青盛隆さん他134名、生徒3年金本誠さん他3名生徒4年生今井幸夫さん他10名、生徒181名。犠牲者187名のお名前が刻み込まれています。
そして、(後にわかり)合祀さた生徒1年熊谷貞吉さん他5名、生徒2年飯田孝男さん、1963(昭和38)年8月6日に7名が追刻されています。 |
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2006年訪ねてこの頁を編集しました。
原爆で亡くなった方々の事を伝えるご家族がいない方は、その死を後世に語り継ぐことができない。この碑の前で黙祷し、佇みながら、後に合祀された方々からそんな事もわたしは思ったのです。 |
2015年久しぶりに訪ね撮影しましたので、この頁を再編集しました。 |
15.0709.再編集 06.10.12裕・記編集 |