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安佐南区伴東三丁目の広陵(こうりょう)高等学校校内正門近くに建立されている「(旧制)広陵中学校職員生徒慰霊碑」です。 |
1945(昭和20)年8月6日被爆当時、広陵中学校は宇品町(爆心地から≒3,000m)にありました。
1、2年生は、雑魚場町(現・国泰寺町1丁目、爆心地から≒1,200m)から鶴見橋(爆心地から≒1,600m)周辺に建物疎開作業出動しており、生徒22人、職員2人が犠牲となったそうです。
また、その他軍需工場などに出動中の生徒14人も犠牲となったそうです。 |
昭和40年=1965年 |
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慰霊碑は、現在の広陵高等学校・正門横に建立されています。
建立は宇品町時代の1965(昭和40)年8月です。
1973(昭和48)年にこちら沼田町に学園が移築された時に同じように慰霊碑も移築されたのでしょう。
資料によると職員2名、生徒34名の方々の慰霊ということで、広陵学園と広陵学園PTAが建立。
広陵学園の資料によると1945(昭和20)年8月6日原子爆弾の投下により講堂及び教室一棟倒壊とあります。 |
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広陵高校が宇品から沼田に移転していますのでいささか遠く、資料で慰霊碑が建立されている事は知っていましたが今(2006年)回訪れ頭を垂れたのでした。
根際に「被爆者が描いた原爆の絵を街角に返す会」の2号碑が建立されています。 |
2015年久しぶりに訪ねました。2006年の時もアストラムライン伴駅から坂道を上りながら広陵高校を目指しましたが、今回はその道のりがこんなに遠かったかな〜と息を切らしていました。
事務室で撮影許可をいただき撮影しましたので、今回撮影画像を加えこの頁を再編集しました。 |
15.11.09.再編集 06.10.10裕・記編集 |