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中区中島町の(平和大通り南側)元安川緑地に建立されている「旧天神町南組慰霊碑」です。 |
旧天神町は、元安川に沿った南北に細長い町でした。
戦時下で隣組体制になったとき、(現在の平和大橋の付近を境に)北組、南組に分かれました。
1945(昭和20)年4月ごろから、建物疎開により現在の平和大通り一帯と南側で防火地帯をつくるための家屋取り壊しがはじまっていた中での被爆でした。
1945(昭和20)年8月6日から同年末までに88名の方々が亡くなられたそうです。 |
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広島市の資料によると、1981(昭和56)年末で、
原爆即死者115名、戦没者11名、被爆後の死没者34名が合祀されているそうです。 |
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建立日:1973(昭和48)年7月15日
建立者:旧天神町南組町内会(慰霊碑建設管理委員会) |
慰霊碑は、御影石製の中に、三人の天女が蓮咲く上を舞っている構図の銅板が嵌めこまれています。
制作者:吉田正浪(1936-2011) |
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2000年に撮影してこの頁を編集しました
2007年原爆忌、(通称)平和記念式典後立ち寄り、頭を垂れた後、サインが刻まれていないか調べたのですが探しきれませんでしたが、資料をみていて、この旧天神南組慰霊碑のレリーフが彫刻家・吉田正浪作品とわかりましたので追記しました。 |
2015年久しぶりに撮影しましたので、この頁を再編集しました。 |
15.02.24.再編集 00.12.31裕・編集 |