旧:陸軍兵器学校広島分教所

  中区舟入南の(県立)広島商業学校校に設置されている「広島県立広島商業高等学校旧本館」説明板です。
※戦時中の一時期、「陸軍兵器学校広島分教所」として使用されました。
広島県立広島商業高等学校旧本館
この建物は、広島県立広島商業学校(現:広島県立広島商業高等学校の前身)として昭和9(1934)年に竣工しました。
昭和19(1944)年に陸軍兵器学校広島分教所として利用、
昭和20(1945)年に原子爆弾による被爆、
昭和24(1949)年に広島大学政経学部に転用の後、
昭和35(1960)年から、再び現在の広島県立広島商業高等学校の校舎として平成16(2004)年まで使用されました。
保存されているのは、旧本館正面玄関部分です。ギリシャ建築を意識した円柱や壁面はテラコッタタイルで装飾され、昭和初期の建築的特徴や技術力の高さを感じることができます。
資料によると、旧校舎は1934(昭和9)年11月、鉄筋コンクリート造3階建、設計者は広島県営繕課 施工は川本組で竣工しています。
爆心地から≒2,880m  被爆当時町名:江波町
広島商業は、明治生まれのオヤジが卒業した学校です。耐震的な問題もあり改修されるという旧本館のことを報道で知っていましたし、原爆関連の慰霊碑を巡りだしていましたので行かなくてはとは思っていたのでしたが、モニュメントと説明板の写真で残された状態になった広商を今回はじめて訪ねました。
07.03.02.裕・記編集

06.10.04.撮影
広島市中区舟入南6-7-11 (改修された現在の校舎)

06.10.04.撮影

06.10.04.撮影
保存されている旧校舎玄関部分 外壁面に使用されていたテラコッタタイルの展示
(説明板の写真を使用しています)
学校略沿革
1900 明治33年2月11日 広島商業学校と称す(創立記念日)
1901 明治34年6月21日 広島県立広島商業学校と改称(材木町誓願寺内仮校舎で授業)
1902 明治35年4月1日 竹屋村の新校舎に移転
1934 昭和9年11月20日 江波町の新校舎に移転
1944 昭和19年5月17日 陸軍兵器学校広島分教所として校舎を徴用される
皆実町広島師範学校旧校舎に移転
1945 昭和20年8月6日 原爆により皆実町校舎全焼。職員生徒は皆実町校舎、市役所東側、土橋付近にて被災
昭和20年11月8日 戦災物故者追弔法要
(職員3名、4年33名、3年21名、2年64名、1年17名、計138名)
昭和20年11月11日 江波校舎に復帰
1948 昭和23年5月3日 学制改革で広島県広島商業高等学校並に同校併設中学校を設置
1949 昭和24年4月30日 広島軍制部の勧告により、高等学校の再編成が実施され同校は廃止された。
5月より校舎は広島大学経済学部に転用(1957年に東千田町に移転するまで利用した)
1954 昭和29年9月1日 広島県広島商業高等学校とし、
広島市仁保町本浦 旧広島市立工業専門学校校舎を広島市より借用の上、再び開校
1960 昭和35年2月15日 江波町旧校舎に復帰
1961 昭和36年9月30日 原爆慰霊碑建立
☆資料は広島県立広島商業高等学校の資料を参考にしました



被爆した建物・構築物」編


「建物」編



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