京都大学原爆災害総合研究調査班遭難記念碑

  廿日市市大野宮浜温泉の米山広場に1970(昭和45)年に建立された「京都大学原爆災害総合研究調査班遭難記念碑」です。
原爆の直接的な慰霊碑ではありませんが、被爆者の調査を陸軍から依頼された京都大学医学部教授陣を中心に物理学者も加わり調査中ここ(佐伯郡)大野を襲った大規模土砂災害で亡くなった方々の慰霊碑ということで、原爆関連の慰霊碑として(わたしは)取り上げています。








































































































































































































































































































































































































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この碑は、三角形の屏風を四枚広げたような形で、鉄筋コンクリート造りです。
一番大きな三角は高さ7.2m、長さ26mです。
碑文にあるように「大地をふみしめて上へ飛躍する人間の復活を象徴しており、京都大学関係者を含め、犠牲者の方々の追悼と恒久平和への祈りを表しています。」とのことです。
原爆関連慰霊碑の資料にこの碑が紹介されていましたので、以前より建立されていることだけは知っていましたが、大野町宮浜(現・廿日市市)に建立されていることからなかなか機会がありませんでしたが、今回「大野歴史ガイドの会」長倉会長、会員の西尾氏に案内説明していただける機会に恵まれました。
「土石流が起きたときは夜だったにもかかわらず、岩同士がぶつかり合い擦れ合い、火花をだして昼間のように明るくなったときもあった」と当時を知る方の話などを話されました。
また、こちら京都大学の碑には、(当時の)大野町と京都大学が平成17(2005)年建立の由来版がありますが、
京大関係者も含まれる大野陸軍病院供養塔には公的な由来板がないのは、土石流災害、原爆による惨禍の風化を招きかねないと、由来版の設置を廿日市市に申し込んでいるという話しもされていました。
2012年2月平和記念資料館で開かれていた「広島、1945」には-写真が伝える原爆被害-と副題が付いた中で、大野病院の被害状況のパネルが2枚展示してありました。2014年のいまになりましたが、追記し、この頁を更新しました。
14.12.21.更新    08.02.19裕・記編集

08.02.14撮影
廿日市市大野宮浜温泉1-19  米山広場

08.02.14撮影

08.02.14撮影
記念碑由来版石碑 (碑文上記)
京都大学原爆災害総合研究調査班遭難記念碑
記念碑にはめ込まれた説明版
京大原爆災害調査班遭難記念碑

08.02.14撮影

08.02.14撮影

08.02.14撮影
土石流で流されてきた巨岩も残されています
広島平和記念資料館平成24年度企画展にて
   土石流が襲った大野陸軍病院
       1945(昭和20)年10月14日佐伯郡大野村
原爆で負傷した人たちは広島市の近隣の病院にも収容されており、広島市の南西にある佐伯郡大野村(現在:廿日市市大野)の陸軍病院にも100人近い患者が入院していました。
また9月5日京都帝国大学の調査班が原爆被害の調査に広島を訪れ、大野陸軍病院を宿泊施設としていました。この病院を枕崎台風による土石流が襲い、約200人が亡くなりました。
   撮影:菊池 俊吉  (写真)提供:菊池 徳子
2012年2月平和記念資料館で開かれていた「広島、1945」には-写真が伝える原爆被害-と副題が付いていました。
その展示パネルの中で、ここで取り上げた大野病院に関するパネルが2枚展示してありました。
いままで、資料の中でみてはいましたが、この頁に加えたら被害の一端がわかるものになるだろうと(フラッシュを焚かずに)撮影しました。2014年のいまになりましたが、追記し、この頁を更新しました。

12.02.09.平和記念資料館展示パネルを影
大野陸軍病院関連展示パネル



「原爆関連慰霊碑等巡り」編
「平和祈念碑等建立地一覧」編



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「旧(佐伯郡)大野町」編


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