|
安佐南区祇園の現在・コベルコ建機に1962(昭和37)年に建立された「油谷重工国民義勇隊慰霊碑」です。
※コベルコ建機は佐伯区五日市港に移転しましたので、2013年現在この場所に工場も慰霊碑はありません。 |
表面: |
慰霊碑 小林虎之助謹書(建立当時の社長) |
裏面: |
1962(昭和37)年8月、油谷重工株式会社従業員一同(建立) |
|
第2次世界大戦時軍需工場でもあった油谷重工業には社員とともに動員学徒、女子挺身隊、徴用工など1310名ほどが勤務しており、「油谷国民義勇隊」が組織され市内中心部の建物疎開作業に出動していました。あの日1945(昭和20)年8月6日は159名(社員108名、動員学徒51名)が天神町に出動、全員が原爆の犠牲になりました。
この碑には、数名の業務殉職者の方々も合祀されているそうです。 |
|
 |
|
1922 |
大正11年 |
大阪市に株式会社油谷機械工作所設立 |
1939 |
昭和14年 |
安佐郡祇園町の日本工業を買収して広島工場を開設
(旧海軍の要請でノースウェスト型ショベルの試作などを行う) |
1983 |
昭和58年7月 |
株式会社神戸製鋼所が資本・経営に参加 |
1999 |
平成11年10月 |
神鋼コベルコ建機、油谷重工と統合し、コベルコ建機(株)を設立 |
|
資料で原爆関連の慰霊碑が建立されていることは知っていましたので、交流ウォーク祇園地区探検隊の前に訪ねてみようと思ったのです。
油谷といえば街の中を颯爽と走る三輪式のバックホーをすぐに思い浮かべ、マツダの3輪自動車と並ぶ広島が生んだ傑作と今でも(わたしは)思っているのです。油谷重工の発祥が大阪だったことはいまになって調べて知ったのです。いまは神戸製鋼に吸収されてしまい油谷の名が無くなってしまいましたが、この慰霊碑はいまでも大切に供養されているようでした。
工場入口の受付で、慰霊碑をお参し、撮影させていただきたいとお願いしました。(土曜日でしたが工場は稼働していましたので、お手数をおかけしましたが慰霊碑のとこまで案内していただきました)頭を垂れ慰霊碑を撮影をさせていただきました。受付で終わったことを告げ工場を後にしました。 |
※ |
2008年10月新聞報道によると『広島県が広島港五日市地区(広島市佐伯区)に整備し、分譲先を公募していた企業移転用地約10hの購入を建設機械製造のコベルコ建機(安佐南区)が申し入れたことが10月14日分かった。同社は広島事業所(安佐南区)の移転先として想定しているとみられる』という内容でした。 |
∵ |
コベルコ建機のショベルカーの生産拠点である広島事業所(広島市安佐南区)の敷地は約4万uで、南区に2万uの土地を借りて仕上げ塗装の工程を移したり、別に製品置き場を確保したりして対応してきたそうで、さらに工場周辺に住宅が密集し、物流の改善などが迫られるようになっているから移転へと云うことのようです。 |
|
08.11.09裕・記編集 |