(油谷重工国民義勇隊)慰霊碑 -移設-

  佐伯区五日市港のコベルコ建機広島事業所に移設されている「油谷重工国民義勇隊慰霊碑」です。
コベルコ建機は、安佐南区祇園から佐伯区五日市港に2013年3月移転しましたので、この慰霊碑も移設されています。被爆70年(2015年)に以前はなかった碑文石が建立されていました。
移設前の頁を含め“油谷重工業株式会社”と記述していましたが、碑文石をみると「油谷重工株式会社」とあり、慰霊碑の裏側を今回見直すと「油谷重工株式会社」とあり、会社名を間違っていましたので、お詫びしなくてはなりません。それと共に訂正しました。
   (慰霊碑) 表面: 慰霊碑        小林虎之助謹書(建立当時の社長)
裏面: 1962(昭和37)年8月、油谷重工株式会社従業員一同(建立)
   (碑文石)碑文
1945(昭和20)年8月6日、油谷重工株式会社広島工場の社員、動員学徒で構成する油谷国民義勇隊160人*は建物疎開作業出動中に被爆死、その尊い命が失われました。
会社では、十七回忌の法要を機に碑建立の声が高まり死没者の冥福を祈るとともに世界平和を祈念するため慰霊碑を建立しました。
   
      2015(平成27)年8月6日 コベルコ建機株式会社
資料には『159名(社員108名、動員学徒51名)が天神町に出動、全員が原爆の犠牲になりました。』とありますが、2015年(70年)に見直されたのでしょう。160名の方々が爆死したとなっていました。
油谷重工株式会社略沿革
1922 大正11年 大阪市に株式会社油谷機械工作所設立
1939 昭和14年 安佐郡祇園町の日本工業を買収して広島工場を開設
(旧海軍の要請でノースウェスト型ショベルの試作などを行う)
1983 昭和58年7月 株式会社神戸製鋼所が資本・経営に参加
1999 平成11年10月 神鋼コベルコ建機、油谷重工と統合し、コベルコ建機(株)を設立
2008年安佐南区祇園の工場を訪ね、この慰霊碑前で頭を垂れ、その後撮影頁(別頁)を編集していました。
2013年3月にコベルコ建機が佐伯区に移転したことを知りました。おそらく慰霊碑も移設されているだろうとは思っていましたが、2015年・被爆70年にも訪ねていなかったのですが、慰霊碑は移設されていることを教えていただいていました。
2016年になり、JR五日市駅から歩いて工場を訪ねました。(工場前からバスの便もあるようでバスをみました)事業所入口・門監所で原爆慰霊碑をお参りし撮影したい旨を告げ、許可をいただき、門からすぐのこの移設された慰霊碑を撮影しましたので、この頁を編集しました。
この油谷重工国民義勇隊慰霊碑が移設された今回は「油谷会館」という合併で名を消していった旧社名をとどめる建物の前に建立されていました。
当初の建立地から移設されたとはいえ、コベルコ建機という会社の度量の大きさを思いながら(わたしは)頭を垂れた後撮影しました。
16.07.03.裕・記編集

16.06.28.撮影
広島市佐伯区五日市港2-2-1  コベルト建機広島事業所

16.06.28.撮影
(移設で)慰霊碑台座が黒御影石になっていました。また、被爆70年に碑文(上記)石が建立されていました

16.06.28.撮影

16.06.28.撮影

16.06.28.撮影

16.06.28.撮影

16.06.28.撮影

16.06.28.撮影
油谷会館の前に建立されている「油谷重工国民義勇隊(原爆死没者)慰霊碑」



「原爆関連慰霊碑等巡り」編
「平和祈念碑等建立地一覧」編



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