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廿日市市天神の正覚院墓苑に建立されている「三井生命保険戦災死者供養塔」です。 |
建立の記
昭和20(1945)年8月6日午前8時15分原爆投下により当社従業員山中八重子さん他数名の方が被爆殉死されました。ここに故人の御冥福をお祈り申しあげ、之を建立いたします。 |
昭和49(1974)年8月6日三井生命保険相互会社 |
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被爆時、三井生命は元安橋西詰近く北側に位置していましたので、原爆により一瞬のうちに壊滅し爆死した職員は10名内外と思われるそうですが正確にはわかっていません。
被爆後、広島支店は佐伯郡廿日市町(現・廿日市市)に仮事務所を開設、社外にいて助かった当時の松永利平支店長は、昭和20年9月に氏名が判明していた、中山シゲ、中山八重子2名の戒名と回向文を刻んだ供養塔を正覚院の墓地に建立したそうです。
昭和49(1974)年には、被爆時西白島にいて奇跡的に助かった山本誠三支社長と共に「建立の記」碑と供養塔周りの整備を会社に具申し、それが実現しいまに至っているそうです。 |
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関連頁:中島本町被爆復元地図:碑(三井生命の位置もわかります) |
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(えこうもん)
回向文:: |
法要や、日常の勤行(ごんぎよう)の終わりに、その功徳(くどく)を自他の往生(おうじょう)に及ぼしたいと願って誦(じゆ)する偈文(げもん)。えこうぶみ。 |
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資料で原爆関連の慰霊碑が建立されていることを知り、訪ねたのです。ここ正覚院は交流ウォークで、広島新四国88か所霊場スタンプラリーなどで何度か訪ねていましたが、資料を見るまで原爆関連の慰霊碑(供養塔)が建立されていることを考えてはいませんでした。
この供養塔の建立が昭和20(1945)年9月ということは原爆関連の慰霊碑としてはもっとも早く建立された慰霊碑の一つではないかと思います。 |
2015年久しぶりに訪ね、撮影しましたので、この頁を更新しました。 |
15.12.20.更新 08.12.30裕・記編集 |