(福山市)原爆死没者慰霊碑

  福山市霞町の(福山市)中央公園に1989(平成元)年に建立された「福山市原爆死没者慰霊碑」です。
平和への願い
  人類未曾有の悲劇をもたらしたヒロシマ・ナガサキの原子爆弾投下から四十四年、この間後遺症とたたかい、ノーモアー・ヒロシマ・ナガサキを叫びながら多くの被爆者が死んでいった。
その数は、福山市においてもおよそ千人に及ぶ被爆者にとって、被爆五十周年はないと言われる。残る被爆者も老い、被爆の実態を継承する生きた証人が減少していくことへの焦りを禁じえない。
ここには、恨みをのんで死んでいった多くの被爆者の冥福と核兵器廃絶並びに恒久平和を祈念して原爆死没者慰霊碑を建立する。
 福山市原爆死没者慰霊碑建立委員会 平成元(1989)年八月建之
          名誉会長 福山市長 牧本幹男(在任:1983-1991)
          委員長 福山原爆被害者の会 会長 吉田悦三
福山市では1954(昭和29)年藤井正男市長を会長とする「原水爆禁止運動福山推進連盟」が結成され、毎年原爆死没者の慰霊祭を開催していましたが原爆被害者の会会員の高齢化が進み広島市平和記念公園の原爆死没者慰霊碑への参拝も困難な状態が出てき、これが地元(福山市)に原爆死没者慰霊碑を建立したいとの願いになり、1988(昭和63)年10月に慰霊碑建立委員会が結成され、1989(平成元)年8月6日慰霊碑が除幕されたそうです。
2015年4月1日中國新聞報道で「福山市原爆被害者の会解散」を知りました。
『福山市原爆被害者の会が2015年3月31日解散した。約60年にわたり被爆者たちの親睦を深めてきたが、役員の高齢化で運営が難しくなり、終止符を打った。
福山市霞町の原爆死没者慰霊碑の管理などは市が引き継ぐ。
福山市原爆被害者の会は1956(昭和31)年に発足。被爆者の援護を国に求めたり、体験の証言活動をしたりしてきた。
1989(平成元)年には同会が中心となり、原爆死没者慰霊碑を建立。
毎年8月6日に福山市内で原爆死没者慰霊式を開いてきた。2015年2月末に臨時役員総会を開き、3月末での解散を決めた。被爆者と被爆2世、遺族の計約500人の会員がいた。
慰霊碑と、碑に納められている死没者名簿は今後、福山市が管理する。市福祉総務課は「原爆の悲惨さを次世代に語り継ぐため、大切に管理したい」としている。
福山市では、被爆二世を会長とする、新たな被爆者団体が4月4日に発足予定。』だそうです。
2015年8月7日報道で次のことを知りました。
『福山市霞町1の中央公園にある原爆死没者慰霊碑前で8月6日第27回福山市原爆死没者慰霊式典が開催され、約120人が参列した。式典は被爆二世を中心とする福山市原爆被害者友の会が初めて主催した。
昨(2014)年までは福山市原爆被害者の会が主催していたが、役員の高齢化などから2015年3月末で解散、被害者友の会に引き継がれた。
式典では新たに申請された死没者59人を加えた名簿が慰霊碑の中に奉納された。
藤井悟会長(68)は「私たちは『過ちは繰返しませぬから』の被爆者の悲願達成に全力を尽くします」と誓い、参列者は慰霊碑に献花して死没者の冥福を祈り、平和への思いを新たにした。』そうです。
資料で、原爆死没者慰霊碑が建立されていることは知っていましたが、福山市に建立ということで今(2009)年になりましたが、訪ね頭を垂れ撮影しました。
09.11.10裕・編集

09.10.12.撮影
広島県福山市霞町1-10 (福山市)中央公園

09.10.12.撮影

09.10.12.撮影

09.10.12.撮影
被爆石  寄贈 広島市

福山市原爆死没者慰霊碑 建設委員会役員名簿

09.10.12.撮影
福山市長 牧本幹男(在職1983-1991)謹書



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