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中区加古町の万代橋西詰南側緑地帯に建立されている「被爆市長公舎・跡」です。 |
正面: |
被爆市長公舎跡 |
裏面: |
平成七(1995)年八月 広島市 |
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旧市長公舎跡
旧市長公舎は、現在(碑建立)地にあり、1943(昭和18)年7月には官選の第18代広島市長に着任した粟屋仙吉市長の住居となっていました。
1945(昭和20)年8月6日、爆心地から南へ≒950mの場所に位置していた公舎は、被爆により全焼しました。当時51歳であった粟屋市長はここで被爆し、亡くなりました。 |
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粟屋市長は、8月5日第二総軍畑司令官の招待を受け、参謀長着任披露会に円山和正秘書係長を帯同して、午後6時頃軍司令部におもむき午後9時頃水主町・市長公舎に帰ったが、夜半の空襲警報でまた登庁し、8月6日午前2時頃警報解除になってから仮眠をとるため公舎に帰っていて(8時15分)被爆、倒壊した建物の下敷きとなり焼死されました(三男、孫ともに死亡。妻・幸代も翌9月に死亡)。 |
*資料は広島原爆戦災誌を参考にしました |
2000年資料をみて、この「旧市長公舎跡」の事を知り、訪ね撮影してこの頁を編集しました。 |
2007年(通称)平和記念式典で平和宣言を読み上げる第35代秋葉忠利広島市長をみているときにふと思ったのです。あの日被爆し亡くなった粟屋仙吉廣島市長のことを。
式典後立ち寄ってみたのです。お参りに立ち寄る人はわたしが訪ねた時はおられませんでしたが、今までは被爆市長公舎跡の石碑にだけみていましたが、雁木がありそして裏木戸に目がいっていませんでしたので別頁で編集しました。 |
2015年久しぶりに訪ね撮影しましたので、この頁を再編集しました。 |
15.06.21.再編集 00.12.31裕・編集 |