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中区白島北町の京橋川土手下広場に建立されている「工兵第五聯隊慰靈碑」です。 |
碑表面: |
慰靈碑 工兵第五聯隊跡地 |
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碑裏面: |
工兵第五聨隊、工兵第三十九聨隊、船舶工兵部隊
昭和五十八年十一月建之 |
昭和58年=1983年 |
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被爆当時、この地には中国軍管区工兵補充隊(旧工兵第5連隊)が駐屯していました。
1945(昭和20)年8月6日午前8時ごろ、下士官要員約100人が入隊するとともに、在隊者は作業演習のため、営庭に集合していましたので、被爆により、多数の隊員が犠牲となったそうです。 |
2001年撮影してこの頁を編集するまで、京橋川を挟んで南が工兵第五連隊のあった白島地区、北が工兵隊の作業所だった牛田地区、牛田で生まれたわたしですがそんなことさえ知らなかったのです。
この2地区を結んでいたのが工兵橋だったのです。工兵隊跡はいまは安田学園となっています。
現在(2007年)撮影し更新しました。
画像にはありませんが、工兵隊作業所だった牛田地区は戦後国鉄や国の公務員宿舎となったのですが、、国鉄はJRになり国に返還の為でしょう建物が解体され更地になっている部分が広くなっています。 |
2015年久しぶりに撮影しましたので、この頁を再編集しました。 |
15.04.28.再編集 01.04.10裕・記編集 |