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中区東白島町の常盤公園に建立されている「国鉄原爆死没者慰霊之碑」です。 |
碑 銘: |
国鉄原爆死歿者慰霊之碑 |
建立日: |
昭和48(1973)年8月6日 |
建立者: |
国鉄労働組合原爆被害者対策協議会 |
碑設計: |
国鉄労組広島地方建築協議会 |
碑文作: |
板谷政典(広鉄文化会議副議長) |
揮 毫: |
湯浅奇峰(広島鉄道病院課員) |
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和
と
未
来
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魂
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手
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て |
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戦
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を
射
て |
天
を
撃
つ
な |
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被爆により、国鉄職員400人以上が犠牲となったそうです。
碑は、国鉄労働組合(国労)が原水爆禁止運動に取り組む中で建立決議が行われ、募金によって広島・長崎に建立されたそうです。
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長崎を旅された時には、JR浦上駅南側広場だそうですから訪ねてみてください。
わたしは、2006年、JR浦上駅の近くにも行ったのですが、慰霊碑の事を知らなかったので、撮影していませんので。 |
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国鉄(日本国有鉄道の略)は、1949(昭和24)年国有鉄道事業を経営するために設立された公共企業体。
資本金は全額政府出資で、運輸大臣の監督下にありました。その後、産業構造の変化、各種交通機関の発達などによる経営の悪化に伴い、1987(昭和62)年4月六つの旅客鉄道会社(北海道・東日本・東海・西日本・四国・九州)など11法人に分割民営化されました。
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国有鉄道の運営は1870年4月19日(明治3年3月19日) 民部大蔵省 鉄道掛にはじまり、1945(昭和20)年5月19日運輸省鉄道総局(最後の国営組織)が行ったあと、日本国有鉄道が継承しました。 |
国鉄労働組合略称国労。全国労働組合連絡協議会(全労協)加盟組合。
JR各社(旧日本国有鉄道=国鉄)とその関連会社に働く労働者、および会社と係争していた被解雇者を組織している組合。組合員数約1万1000人(2013年12月)。
1946(昭和21)年2月、旧国鉄関係労働組合の連合体、国鉄労働組合総連合として発足。翌(1947)年6月5日単一組織体に改組して国鉄労働組合。結成当時の組合員数約56万人。 |
この碑が建立されている根際の神田川鉄道橋に原爆で転覆した貨物列車があったことをおじさんの原爆記で知ったのです。(後年読んだ原民喜の短編「夏の花」にもありましたが)そのような地からこの地に慰霊碑が建立されたのかなと思ったりしています。
2001年撮影してこの頁を編集しました。2002年、2007年に撮影しこの頁を更新しました。 |
2015年に久しぶりに撮影しましたので、この碑の設計者などを加筆して、頁を再編集しました。 |
15.04.27.再編集 01.04.10裕・記編集 |