(修道中学校)浅野長勲・頌徳碑
  中区南千田町の修道学園正門を入ってすぐ右手に建立されている「浅野長勲・頌徳碑」です。
この碑は、廃藩置県の制がしかれて、明治5(1872)年学制頒布され、国民の向学の風頓に盛んとなりましたが、教育の施設がこれに伴わなくて、浅野長勲公(広島浅野藩14代最後の殿様:1842-1937)はこれを憂い、明治11(1878)年私立浅野学校を泉邸内に創設し藩黌の遺紹とし今日の修道中学校の基礎をつくったのです。大正15(1926)年修道中学校は校地の狭隘を告げ移転地の選定をしていた所、市内千田町3の所有地を開放して無償にて貸与、昭和6(1931)年1月22日にはこの地を寄付されたのです。修道中学校はその徳を永遠に伝えるため浅野長勲公頌徳碑を校内地に建立して記念としたものです。
除幕式は昭和7(1932)年9月25日浅野長勲公を主賓として、県知事・湯沢三千男、市長・伊藤貞次など1500名が参列して盛大に挙行されたそうです。
資料は「修道学園史:浅野長勲公頌徳碑の建立」の項を参考にしました
原爆関連慰霊碑の頁に「修道中学校職員生徒慰霊碑」を加えるべく、2006年に修道学園を訪ね慰霊碑に頭を垂れ撮影させていただき帰るとき、学園本部建物の根際にこの碑をみて撮影しましたが、修道卒業生でもないし、子どもたちもお世話になったわけでありませんので頁にはしていませんでした。
HPの中に「平和記念公園」編を編集していますが、その中の「地球平和監視時計」の発案者であるこの修道高校を卒業された土井淳夫さんとNETで知り合いお話するようになったのです。
この碑に関する事は、修道学園史の中に記述がありますからとこの碑に関する資料をいただきましたので、漢文不得意のわたしがわからなかった文字もわかり碑文を解読できました。
 08.12.19裕・記編集

08.12.15撮影
広島市中区南千田町8-1 修道学園

08.12.15撮影

06.09.11撮影
碑 徳 頌






































































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昭和7(1932)年9月穀旦建之
(こう)
黌:
1.まなびや。学校。
(きょう)
嚮:
1.サキに 2.=郷。ムかう→向 3.=饗。もてなし 4.ヒビき
(こくたん)
穀旦:
=穀日(こくじつ)。よい日。めでたい日。吉日



「広島ゆかりの人たちの石碑など」編



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    (修道学園関連頁)
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