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中区南千田町の修道学園内に(現在は)移築されている「修道学問所之蔵」です。 |
「修道学問所之蔵」だったというこの土蔵 は、 間口≒3.8m×奥行≒5.7m(高さ≒6m))の2階建の土蔵です。
明治時代の間に、浅野家から(広島市内)愛宕町に住む民間人(重谷さんの先祖で浅野家藩士・山口愛太郎さん)のところへ移築されたたそうで、1945(昭和20)年8月6日の被爆にも耐えた蔵です(爆心地からの距離はおおよそ3,000mだったそうです)。
平成に入り、瓦が落ちそうになるほど老朽化したため取り壊されるところだったのを“学問所の土蔵”だということが判明し、関係者が保存に動いた結果、重谷昌江さんから修道学園が無償で引取り校内へ復元移築することになり、2012年4月3日移築復元起工式が行われてから工事に取りかかり、2014年11月25日竣工式が執り行われたと、新聞報道などで知りました。 |
「修道学問所之蔵」(旧広島城郭内の蔵)移築・復元事業
修道学園は、広島市東区愛宕町にあった旧広島城郭内の蔵の移築・復元事業を行っています。
この蔵は、旧広島城内から移築されたものであり、広島市街地に現存する唯一の江戸時代の土蔵です。
また、被爆建物でもあるので、歴史的価値が高い建物でもあります。
されに、この蔵は、修道学園の淵源でもあり広島藩学問所にあった可能性が高いとの見解を示されています。
修道学園はこの度、この土蔵を譲り受け、校内に移築・復元し永久保存することにしました。この建物を次世代に守り伝えると共に、修道学園が広島藩藩校としての伝統を継承している事を示すことになると考えます。
今後、広島市に文化財指定の申請を行う予定です。 |
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今(2015年)回久しぶりに「修道中学校職員生徒慰霊碑」を訪ねた時、新聞報道などで知ったこの「修道学問所之蔵」も見学したいと思っていたのです。
学園事務室で、慰霊碑、この蔵等の撮影許可をいただきましたが、蔵の内部の見学も申しでたのですが、担当者の方に来客があると云う事でかなえられませんでしたが、事前に連絡し、申し出ておれば学園の都合がいい時に蔵内部の見学が出来るようでした。 |
15.07.09.裕・記編集 |