平和の誓い(核兵器廃絶を平和こそいのち)-撤去-

 
  南区稲荷町の猿猴川河畔緑地帯に1998(昭和63)年に建立された「(核兵器廃絶を平和こそいのち」碑で、1995(平成7)年に「平和の誓い」プレートが加えられた木碑です。
2011年に通った時(河畔の整備はしていませんでした)にはありました。
今(2015年)年訪ねると、河岸の緑地帯が整備されていましたので、この碑はとみましたが、見当たらず撤去されたようでした。何者かがこの碑を撤去したようです*。
わたしが撮影した2011年12月以降になりますが(年月日は不明だそうですが)この碑が無くなっていたそうで、植樹した樹木は残っているので、(その樹木を中心にして)昨年で3回目の慰霊式を執り行ったという情報をいただきました。
わたしが記述していた、広島市が撤去したのではと思ったということは間違っていました。
広島市が河畔の整備にとりかるときには、既にこの碑は無かったということも併せて情報をいただきました。
平和の誓い
  決して忘れることのできない1945(昭和20)年8月6日、午前8時15分。
あの日、米国の投下した一発の爆弾は、強烈な熱線と爆風と放射能を発した。一瞬にして奪われた尊い命は20数万、その殆どが女性・小供・老人であり、半数の死者が未だに氏名不詳。人も、馬も、木も、建物も、電車もすべてが焼かれ、一つの社会を崩壊させた。家族を失い、職場を失い、くらしを失い、心身を破壊された被爆者の筆舌に尽くしがたいその後の苦しみとたたかい。あれから半世紀、この事実を歴史から消し去ることはできない。
今なお、地球上には多くの核兵器が蓄積され、核固執勢力も依然として存在し続け、戦争の火種はくすぶり絶えてはいない。
  私たちは訴える。
すべての戦争の火種を絶やすために。
すべての核兵器を地球上から無くすために。
次代を担う世代に平和な地球を残すために。
私たちは伝える、次代を担う世代に。戦争の悲惨さを。核兵器のむごさを。何よりも平和の大切さを。私たちは行動する。
再び被爆者をつくらないために。ヒロシマ・ナガサキを繰り返さないために。あの日の謝罪と核軍拡戦争に加担しない「証し」として「真の国家補償による援護法」制定のために。あらためて「核戦争阻止・核兵器廃絶・真の被爆者援護法制定」の実現にむけて。
ノーモア・ヒロシマ・ナガサキ、ノーモア・ヒバクシャ
          1995(平成7)年7月28日  全労働省労働組合広島支部 原爆被爆者援護対策委員会
*労働省は、1947年から2001年1 月6日まであった省庁で、現在は、厚生労働省となっています。
1988(昭和63)年4月26日建立のこの小さな碑を道路(遊歩道)側からみると全労働省労働組合広島支部結成30周年記念植樹という事がわかりました。
京橋川側からみると『核兵器廃絶を平和こそいのち』の文字が読め側面に上記の文章が刻まれた金属板が1995(平成7)年に追加取り付けられたことがわかりました。
小さな碑ですが核廃絶を願う人たちの願いが込められた大きな碑なのだと(わたしは)思いました。
2006年京橋を撮影しようと思っていたときに(わたしは)気がつき撮影しましたこのような碑がまだまだあるのではと思いました。この碑の近くに労働会館があった事から平和記念公園付近ではなくこの京橋川河畔の緑地帯に建立されたのかなとおもいました。
この近くは2006年からも何度となくぶらり散歩していましたが2011年久しぶりに撮影しました。
2015年(被爆70年のことし)原爆関連の慰霊碑や平和祈念の碑を訪ねていますので、この碑も訪ねたのです。
河畔が整備されてはいましたが、この碑は撤去されたようでこの付近にはありませんでした。
河川・河畔の整備は憩いの場を市民に提供するということでいいことだと思いますが、被爆50年に被爆の風化を憂いこの碑を建立したであろう人たちがいたことを葬り去った(碑を撤去した)ことは、被爆70年をむかえた広島市(行政が行うのかと)かと悲しくなりました。
広島市としては建立されている碑を勝手に撤去することはないということで、わたしの穿った見方は間違っていました。
今後も、原爆関連の慰霊碑や平和祈念碑などを建立した人々の平和への願いを踏みにじる者(碑を勝手に撤去する者など)が出てくる世の中になってきているのかも知れないと思うと悲しみがおおきくなりました。
16.02.23.訂正   15.10.08.更新    06.09.28裕・記編集

06.06.17.撮影
広島市南区稲荷町8  京橋東詰南側

11.12.14.撮影
2006年この(平和の誓い)碑の北側根際の植樹は結局枯れたようでした

11.12.14.撮影

06.06.17.撮影

11.12.14.撮影
結成三十周年記念樹 核兵器廃絶を平和こそいのち 平和の誓いプレート

11.12.14.撮影
写っている樹木がこの碑建立時に植樹されたもののように思いました
 
 碑は無くなっていました(何者かが撤去したようです)

15.09.12.撮影
河畔の整備がされています。この頁で取り上げた碑は整備工事に取り掛かるときには無かったそうです

15.09.12.撮影



「原爆関連慰霊碑等巡り」編
「平和祈念碑等建立地一覧」編
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