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中区東千田町の千田小学校校舎グラウンド側に建立されている「日本・オーストラリア友好の校舎」碑です。 |
終戦直後の混乱の中で、焦土と化した千田地区に小学校を復興することは、大変困難なことであった。北風のふきすさぶ青空教室で、真剣に学ぶ児童の姿を眺めながら、オーストラリア進駐軍ヒギンズ准尉と宮本正夫氏をはじめとした保護者有志との間に、共に子どもをもつ親としての暖かい心が通じ合い、進駐軍専用倉庫二棟を校舎建築の資材として払い下げる約束が結ばれた。
昭和22(1947)年12月28日町民有志の協力により、木造本建築五教室ができあがった。千田小学校創立60周年にあたり、オーストラリア進駐軍ヒギンズ准尉の国境を越えた子ともへの愛の深さを思いおこすとともに、心から世界平和を願い、日本・オーストラリアの友好のきずなとなることを願ってこの記録を残す。
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除幕:昭和61(1986)年3月15日 広島市立千田小学校創立60周年記念事業実行委員会 |
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(しんちゅうぐん)
進駐軍: |
第二次大戦後、日本に進駐した連合国軍隊。〔講和条約発効後は「駐留軍」と称した〕
敗戦直後(1945年12月はじめ)からオーストラリア軍を中心に編成された進駐軍(英連邦軍)が、約2年ほど広島県呉市に駐留したそうです。 |
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資料で宇品凱旋館で(日本兵の武装解除の任に当たった)オーストラリア軍の閲兵風景の写真を見た事がありましたので、千田小学校でこの碑をみて碑文を読んだとき。
こんな事もあったのかと・・・直接的な原爆関連の平和祈念碑ではありませんが、碑の意味する処が平和を願っても建立されたということでこの項目に加えました。 |
2016年千田小学校内の被爆フジの樹勢回復作業を見学した時、この碑を別構図から撮影していましたので、2017年の今になりましたが、画像を追加しました。 |
17.11.08.更新 07.06.14 裕・記編集 |