(地御前村)戦没者慰霊碑

  廿日市市地御前の金剛寺墓地に建立さえている「(地御前村)戦没者慰霊碑」です。
昭和41(1966)年3月灘尾弘吉書ということが碑に刻まれていましたので、1966年建立でしょう。
戦後建立から、第二次世界大戦を中心とした戦争で亡くなった方々を慰霊した碑でしょう。
広島原爆戦災誌によると
「沿岸部の宮内村や地御前村では原爆の爆風で45%以上の家屋が、戸障子が飛び、壊れ、ガラス窓はこな微塵に砕けた。
8月6日廿日市町からは、建物疎開で市内に57人出動しており即死者29人、負傷者28人をだした。
正午ころから被災者が国道2号線を伝って徒歩で続々と廿日市町にはいってきた、防衛計画で戦災者収容割当てが決められており、観音町は地御前村へ、天満町は宮内村へというようになっていたが、大量の被災者で大混乱を引き起こした。地御前国民学校では1948人収容し、226人を埋火葬した。・・・」とあります。
慰霊碑の周りには、建立由来などを書いた碑文が見当たりませんでしたので詳しいことはいまのわたしにはわかりません。
07.10.23 裕・記編集
   関連頁:(地御前神社根際の)皇威輝八紘・碑

07.09.04.撮影
広島県廿日市市地御前2-8 (金剛寺墓地)

07.09.04.撮影

07.09.04.撮影



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