広島女子商業学校職員生徒慰霊塔

  安芸郡坂町平成ヶ浜の広島翔洋高等学校に建立されている「広島女子商業学校職員生徒慰霊塔」です。
 ※ この広島女子商業慰霊塔は、もともと広島女子商が位置していた広島市南段原678(南区南段原11-5)の女子商校内に建立されたものでした。
しかし、学校が今の地・安芸郡坂町に移転した時にこの慰霊塔も移築されました。
建立は、この石碑側面には昭和21(1946)年8月6日建之と刻まれていますが、この石碑自体は昭和29(1954)年9月4日と聞きます。(※1946年に木製の碑で建立された時を示すものだそうです)
原爆で犠牲になった方々の数についても資料で違いますが、学校資料によると教官9名(この中には当時の山内常雄校長も爆死された)生徒329名が亡くなったとあります。
(慰霊塔根際に建立の「広島女子商業学校原爆死没者慰霊」に刻まれたお名前は1校長+8教官、生徒320名のお名前が刻まれています)
資料に、この「広島女子商業学校(職員生徒)慰霊塔」が、広島市南区南段原の広島女子商業に建立されている事が紹介されていました。
1989年学校は南段原からここ安芸郡坂町に移転していました。
2000年頃から(わたしは)原爆関連の慰霊碑を巡りだし、市内に建立の慰霊碑から巡っていました、その間、校名が何度か変わった事を新聞などで知っていました。今(2010年)になりましたので、女子専門の学校から男女共学の広島翔洋高等学校になっていましたが、慰霊塔は中庭の中央部分に移設され、大切に守られていました。
10.06.29 裕・記編集

10.04.29.撮影
広島県安芸郡坂町平成ヶ浜3-3-16 (現在:広島翔洋高等学校校内)

10.04.29.撮影

10.04.29.撮影

10.04.29.撮影

10.04.29.撮影
広島女子商業学校略沿革
1925 大正14年11月6日 (広島市)南段原町に広島女子商業学校創立
1945 昭和20年8月6日 原爆で校舎壊滅しました
1948 昭和23年5月 学制改革で、広島女子商業高等学校となりました
1989 平成元年4月 現在地安芸郡坂町に移転
2000 平成12年4月  校名を「広島安芸女子大学高等学校」に変更
2002 平成14年4月  校名を「立志舘広島高等学校」に変更
2004 平成16年4月  校名を「広島女子商学園高等学校」に改称
2008 平成20年4月  校名を現在の「広島翔洋(しょうよう)高等学校」に改称し、男女共学となりました



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