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南区皆実町の猫田記念体育館東側に移設建立されている「(旧・日本専売公社広島工場)祈平和・碑」です。 |
1945(昭和20)年8月6日被爆当日(当時)広島地方専売局には700人の職員と300人ほどの女子挺身隊、動員学徒が就業していたと推定されているそうです。
1982年発行全専売労働組合広島地方部のヒロシマの声によると、被爆による即死者は1名で、800名の方々が負傷されたそうです。1980(昭和55)年当時の職員や家族にも被爆者が多くあり、核兵器廃絶と恒久平和を祈念する祈念碑の建立の声が高まり、被爆36周年8月(1981年8月6日建立)に平和祈念の碑が建立されました。 |
正面: |
祈平和 人類の未来のために 被爆三十六周年八月 考■書 |
裏面: |
-(なし) |
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*■は逞という字かなとも思いますがわたしにはよくわかりません |
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資料で、この原爆関連の碑が日本専売公社(現・日本たばこ産業)広島工場内に建立されている事を知っていました。近くを何度も通りました(通った時にはタバコを吸わないわたしは煙草の香りがかすかに漂っていました)が、碑が工場内に建立という事でなかなか足が向かなかったのです。
ぐずぐずしているうちに、広島工場は売却され、2008年に大型ショッピングセンターゆめタウン広島になったのです。 |
この祈念碑はどうなったのだろうと思っていたのですが、2010年6月チンチン電車の中から猫田記念体育館根際に石碑が見えたのです。
いままで石碑はなかったところだったのです。移された祈念碑かもしれないと帰りに立ち寄ってみました。場所は変わりましたが、大切にいまも管理されているようでした。 |
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1949(昭和24)年6月1日 |
日本専売公社は、たばこ・塩・樟脳の専売業務を行ってきた大蔵省専売局を独立 |
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1985(昭和60)年4月1日 |
日本たばこ産業株式会社 |
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2015年久しぶりに立ち寄り撮影しましたので、この頁を更新しました。
揮毫者の名前が刻まれていますので、今回近づき見ましたが、わたしには正確に読めませんでした。
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2020年コロナ禍の年でしたが、まだ感染が拡大していない時に千田公園内外の被爆クスノキ並木を撮影しようときたとき、足を延ばしてここ猫田記念体育館の前を通った時に、久しぶりに館内を見学したあと、この祈念碑の前で頭を垂れました。 |
21.01.12.更新 10.07.20 裕・記編集 |