-移設後- 坂町小屋浦・原爆慰霊碑

  安芸郡坂町小屋浦の小屋浦公園に2019(令和元)年7月移築された「坂町小屋浦原爆慰霊碑」です。
※もともと(現在)JR呉線根際の亀石地区に建立されていましたが、2018(平成30)年7月の西日本豪雨で被災し、現在の小屋浦公園に移設されました。
※慰霊碑周りのフェンスはイノシシ被害で2020年4月地元有志が設置したと中國新聞報道で知りました。
※(移築され新しく設置された説明板)小屋浦原爆慰霊碑について
『太平洋戦争末期の1945(昭和20)年8月6日、米国は広島市へ原子爆弾を投下しました。
市内は阿鼻叫喚の生き地獄で、被爆負傷者が校外の臨時救護所に次々と運ばれました。小屋浦海水浴場休憩所と(小屋)国民学校も臨時救護所となり、約360名が収容されました。
小屋浦住民は交代で、両救護所の負傷者を手厚く看護しましたが、約半数の方々がお亡くなりになり、この(以前の)地に埋葬して木製の墓碑を建てました。
1952(昭和27)年広島市が埋葬された遺骨を発掘し、改めて供養して平和記念公園の原爆供養塔に納め(安置し)ました。
1987(昭和62 )年ご遺族と住民が平和への願いをこめて、被爆の惨状を永久に伝えるため、木製の墓標から石碑に建て替えました。碑には確認できた93名の名前が刻まれています。
2018(平成30)年7月6日の(西日本)豪雨で、慰霊碑は土砂と倒木に埋まりました。取り除いたものの危険な状況を改善するのが困難なため2019(令和元)年7月、現在の小屋浦公園に移設されました。
今後も被爆の惨状を伝え、平和への思いを語り継ぐ石碑です。
 2019(令和元)年7月小屋浦原爆慰霊碑を守る会』


※(移築された石碑) 原爆慰霊碑
表面: 原爆慰霊碑  広島市長 荒木武(在任1975-1991)書
裏面: 昭和20(1945)年8月6日広島に原爆が投下され多くの被爆者が運ばれてきて、小屋浦住民の看護の甲斐もなく亡くなられた90余名の方がこの地に埋葬されている。
40年を経た今 犠牲者のご冥福を祈り平和の願いをこめ遺族並びに原爆被害者の会が発願し、金子石材店、田川緑地建設をはじめ多数の有縁者の協力によりこの碑を建立した 
昭和62(1987)年3月吉日
〔もともとの地での説明板〕
被爆直後、安芸郡坂町小屋浦には陸軍の臨時救護所が設置され負傷者多数が収容されました。負傷者は次々に死亡され、この地に埋葬されましたその数は(広島原爆戦災誌には)150余名と記述しています。
昭和21(1946)年小屋浦地区の人たちは木製の墓標を建てた、その後昭和27(1952)年7月末埋葬されていた遺体は発掘され改めて荼毘に付されたそうです。
被爆40周年を機に石碑の建立の気運が高まり、小屋浦地区の当時判明していた犠牲者の遺族らが原爆慰霊碑建設委員会を結成。それまでに確認された犠牲者85名の氏名が碑の左右側面に刻まれ、碑裏面には碑文(上記)と発起人21名の氏名が刻まれています。
この慰霊碑は、昭和62(1987)年5月完成し、原爆忌の前日(8月5日)に除幕式が営まれたそうです。
(現在の)広島原爆戦災誌には収容所名:小屋浦海水浴場、暁部隊野戦病院:開設8月6日収容数200人、埋葬150人閉鎖8月20日となっています。
また、小屋浦関連では、収容所名:小屋浦国民学校、開設8月6日収容数60人、火葬40人、場所小屋浦火葬場、閉鎖8月20日とあります。
※慰霊碑の左側(説明板の前)に小さな石柱が新しく建てられています。
『この原爆慰霊碑は地域住民及びご遺族の慰霊の思いを受けここにいせつしました。
 令和元年七月  坂町長 吉田隆行』
※慰霊碑の右側に小さないしぶみも移築されています。
広島原爆戦災誌の誤記述(小屋浦の人々は、原爆犠牲者の遺体を野ざらしにしていたという事)に対しての怒りの短歌が刻まれたいしぶみでした。
表面: 昭和四十六(1971)年八月六日発刊の広島原爆戦災誌に記載されている、坂町小屋浦を名指にした、七年間被爆死者、六十体を野ざらし、という写真入りの記事は全くの誤りです。広島市政百年を記念して発刊される、広島原爆戦災誌改訂版には、私達の思いが達してこの誤りは抹消訂正されます。 
 昭和六十四(1989)年一月吉日 慰霊碑奉賛会
裏面: 野ざらしの 誤記に憤りて 散りしける 藪椿の実ぞ 永久の語部」 吟悠
ここ坂町小屋浦地区が(2018年7月の)西日本豪雨で大きな被害が出ていることを報道で知りました。そして、しばらくしてここで取り上げている原爆慰霊碑にも被害が出ていることも知ったのです。
2019年7月新聞報道で、原爆慰霊碑が小屋浦公園に移設されたことを知りましたが、息子から(被災後仕事休みの土日に)ボランティアで小屋浦に行って、その被害の大きさを聞いていたので、すぐすぐの撮影はためらっていました。
2020年7月になって復旧途上ではあるのでしょうが、少しは落ち着いてきたかなと思い、コロナ禍の中でしたので、息子に車で連れて行ってもらい撮影していましたのでこの頁を編集しました。
21.03.30 裕・記編集

20.07.24.撮影
広島県安芸郡坂町小屋浦4-25  (整備中の)小屋浦公園

20.07.24.撮影
(正面からみました)

20.07.24.撮影
(新しく設置された)説明板と石柱

20.07.24.撮影
(移築された原爆慰霊碑)

20.07.24.撮影
(原爆慰霊碑の右側に小さないしぶみも移築されています)

20.07.24.撮影

20.07.24.撮影

20.07.24.撮影
(裏側からみました)



「原爆関連慰霊碑等巡り」編
「平和祈念碑等建立地一覧」編


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