原爆死没ろう者を偲ぶ碑

  中区吉島東の広島県立広島南特別支援学校に建立されている「原爆死没ろう者を偲ぶ碑」です。
表面 鎮魂  
原爆死没ろう者を偲ぶ碑
裏面 平成15年(2003)8月
広島県立広島ろう学校同窓会建之
  仲川文江・尾崎孝著「沈黙のヒロシマ」(文理閣・2007年発行)によると
この慰霊碑は、被爆56年の2001(平成13)年吉上巌さんが中心となり「原爆死没ろう者を偲ぶ会」を発足して実現に向け動き始めたそうです。
当時戦没者59名、被爆者手帳保持者40名というところまで調べられたそうです。
慰霊碑の建立は、1948(昭和23)年頃からはじまっておりましたが実現までにいかず、原子爆弾による戦災死没者・16名のお名前が書かれた位牌*を作り毎年8月6日に平和記念公園に持っていかれ参拝されていたそうです。
位牌には廣島原子爆弾ニ依ル戰災死歿者之名
寺家惟。石原貞夫。源田佐吉。芥川英子。山有金二.國島光雄。若井眞次郎。前田英子。小田竹夫。清水三郎。小田政枝。北村悦子。藤田廣吉。吉田俊之。片桐初子。土井スミ子。 16氏のお名前があります。
この慰霊碑は、「原爆死没ろう者を偲ぶ会」が民間団体ということで、(当時呼称)広島県広島ろう学校内に寄付するという形態になり、建立時の補助金制度の適用が受けられないなどの問題があったそうで、また、建立場所も学校の運動場、被爆アオギリ2世の根際となるなどで、2003(平成15)年8月3日除幕式をむかえたそうです。
1934 昭和9年4月1日 広島県立盲唖学校を広島県立盲学校と広島県立聾学校に分離
昭和9年11月23日 広島市吉島本町の新校舎に移転
1945 昭和20年8月6日 (爆心地より≒2,700m)原子爆弾により校舎(大きく傾く)・講堂・寄宿舎崩壊
1954 昭和29年4月1日 広島県広島ろう学校と改称
2007 平成19年4月1日 広島県立広島南特別支援学校に校名変更
わたしがいままで参考にしていた資料には、被爆した聾唖者の方々に言及したものがないように思いましたので、仲川文江・尾崎孝著「沈黙のヒロシマ」を図書館で借りてよみ、参考にしました。
余計なことですが、(広島)市内各区の図書館のほとんどにありますので、すぐに借りることができると思います。
2011年12月吉島地区交流ウォークコースの資料を作成していた時に、南区役所のMさんに広島南特別支援学校に原爆死没者の慰霊碑が建立されていますという事を教えていただきました。
交流ウォークの時、通りながらみました。終わって立寄ったのですが土曜日でしたので校門も閉まっておりましたので、この慰霊碑を校外の道路から撮影しましたので正面からの画像がありませんが、頁を編集しました。
(わたしは)2000年頃から原爆関連の慰霊碑を訪ねていますが、ここ広島南特別支援学校に原爆関連の慰霊碑が建立されている事を知らなかったし、被爆した聾唖(ろうあ:耳の聞こえないこと)の方々のことを考えてもいなかった(わたし自身の)認識のなさを恥じながらこの頁を編集しました。
12.01.22 裕・記編集

11.12.17撮影
広島市中区吉島東2-10-33  広島県立広島南特別支援学校・運動場(南東)

11.12.17撮影

11.12.17撮影
碑の後ろの被爆アオギリ2世

11.12.17撮影

11.12.17撮影

11.12.17撮影



「原爆関連慰霊碑等巡り」編
「平和祈念碑等建立地一覧」編


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