大林地区戦没者慰霊碑

  安佐北区大林町の大林八幡神社境内に建立されている「大林地区戦没者慰霊碑」です。
※大林村忠勇碑の隣にここで取り上げた戦没者慰霊碑が、戦後(昭和51年)になって建立されています。
広島市の資料によると
旧大林村の日清戦争から太平洋戦争までの戦没者と原爆犠牲者(原爆犠牲者は軍人7人、動員学徒4人、義勇隊2人、軍属2人などの計18人)を慰霊するため、建立されました。』とあります。
(正面) 慰霊
戦没者(のお名前)
日清戦争1名。日露戦争8名。太平洋戦争104名
(裏面) 冥福を祈りて 之を建つ
   昭和五十一年八月十五日  大林地区在住者一同
昭和51年=1976年
大林村の忠勇碑の隣にここで取り上げた戦没者慰霊碑が戦後になって建立されています。
各地の忠魂碑の多くが日露戦役後建立され、その後の戦役で亡くなった軍人軍属の方々を合祀していった経緯があり、大林村の忠勇碑もそのような経緯をたどったのではないかとわたしは思います。
戦後、原爆で亡くなった動員学徒、義勇隊の方々も慰霊するということで、この大林地区戦没者慰霊碑が建立されたのでしょう。

表題を「大林地区戦没者慰霊碑」としているのは、碑の建立者が大林地区民となっていることからで、“(旧)大林村戦没者慰霊碑”とする方がいいのかなとも(わたしは)思っています。
大林村略沿革
1889 明治22年4月1日 市町村制施行時、高宮郡大林村。
1898 明治31年10月1日 高宮郡+沼田郡=安佐郡となり安佐郡大林村となりました。
1955 昭和30年3月31日 大林村+可部町+亀山村+三入村=(新しい)可部町となり、大林村消滅
1972 昭和47年4月1日 安佐郡可部町は、広島市へ編入消滅しました。
今(2016)年6月父の日に息子と安佐北区鈴張などの原爆関連慰霊碑三基を巡った時に交通手段の関係でまだ行っていない慰霊碑があると話ていたのです。原爆関連の慰霊碑を訪ねお参りする人もごくわずかであることがわかったのでしょう、8月になってまだお参りしていない慰霊碑に行ってみようと云ってくれたので、息子運転の車で安佐北区ここで取り上げた口田地区供養塔と大林地区慰霊碑を訪ねたのです。
事前に広島市の公開資料で場所を調べ、NET地図を印刷準備していましたが、当日出かけるときその資料を忘れ、行く途中に気が付き記憶の中で訪ねることになりました。
この大林地区戦没者慰霊碑はガラスの里の先で、大林八幡神社に建立されていることは覚えており二差路を最初左に行き間違っていましたが、戻り右に行ってすぐに八幡神社の標柱を見つけましたので訪ね、お参りすることができました。
16.08.28.裕・記編集

16.08.20.撮影
広島市安佐北区大林町3697  大林八幡神社

16.08.20.撮影
(大林村)忠魂碑 と (戦没者)慰霊碑

16.08.20.撮影
(戦没者)慰霊・碑

16.08.20.撮影

16.08.20.撮影

16.08.20.撮影



「原爆関連慰霊碑等巡り」編
「平和祈念碑等建立地一覧」編



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