大林村忠勇碑

  安佐北区大林町の大林八幡神社に建立されている「大林村忠勇碑」です。
※(隣に戦後になって建立された戦没者慰霊碑によると)日清戦役1名。日露戦役8名の戦没者の忠勇を讃え建立された碑のようです。
(正面) 忠勇碑
    公爵 桂太郎
(裏面)   --
この忠勇碑の建立年が刻まれていないか碑裏も見ましたが、(わたしには)何も刻まれていまないように見えました。
各地区の忠魂碑が日露戦争後に建立されたということと、揮毫者・桂が公爵になった1911(明治44)年以降で、失脚し死亡した1913(大正2)年以前と云うことは桂の経歴からわかりますが特定した建立年はわたしにはわかりません。
大林村略沿革
1889 明治22年4月1日 市町村制施行時、高宮郡大林村。
1898 明治31年10月1日 高宮郡+沼田郡=安佐郡となり安佐郡大林村となりました。
1955 昭和30年3月31日 大林村+可部町+亀山村+三入村=(新しい)可部町となり、大林村消滅
1972 昭和47年4月1日 安佐郡可部町は、広島市へ編入消滅しました。
桂太郎(かつら たろう:1847-1913)
陸軍軍人、政治家。長州藩の人。ドイツ兵制を学び、陸軍建設に尽力。
三度(第11・13・15代内閣総理大臣)組閣し、日英同盟締結(1902)・日露戦争(1904-1905)・韓国併合(1910)などに当たる。1911(明治44)年公爵陞爵。1913(大正2)年憲政擁護運動に批判されて辞職(大正政変)。
大林八幡神社を訪ねた時、最初に目に留まったのがこの「忠勇碑」でした。
まず、八幡神社拝殿前で参拝し、忠勇碑隣の戦没者慰霊碑に頭を垂れてから忠勇碑を撮影しましたが、忠勇碑の後側のスペースが狭く真裏からは撮影できませんでした。
16.08.30.裕・記編集

16.08.20.撮影
広島市安佐北区大林町3697  大林八幡神社

16.08.20.撮影
 (大林村)忠魂碑 と (戦没者)慰霊碑

16.08.20.撮影
忠勇碑

16.08.20.撮影

16.08.20.撮影

16.08.20.撮影



「軍都・廣島関連施設戦跡など」編



広島ぶらり散歩へ
大林地区戦没者慰霊碑
大林村忠勇碑
大林八幡神社
  紀元2600年紀念標ほか
大林薬師堂
伊勢が坪城跡


inserted by FC2 system