小河内地区戦没者慰霊碑

  安佐北区安佐町小河内(おがうち)に建立されている「小河内地区戦没者慰霊碑」です。
広島市の資料によると
『旧小河内村の日中戦争から太平洋戦争までの戦没者と原爆犠牲者(118人*。うち原爆犠牲者は軍人11人、動員学徒5人、軍属2人の18人)を慰霊するため、建立されました。碑正面に犠牲者の名前が刻まれています。』とありますが、この広島市の資料は戦没者の方々の数が正面に刻まれた方々118名だけで、(側面と裏面にも刻まれている方々が抜けていますので)間違っています。
広島市の資料にある死没者118名と云うのは正面に刻まれた方々の数で、
碑裏には230名、側面の片方に40名、もう片方には11名のお名前が刻まれており、(わたしの数え間違いがなければ)全体的には399名の方々が各戦争で亡くなったのではと思います。
(正面) 慰靈碑
 支那事変大東亜戰爭戰没者英霊名 (軍人)100名、動員学徒5名、軍属13名
(側面) 昭和四十四年三月建之 生還軍人、有志、遺族会  戰死者(11名のお名前) 昭和44年=1969年
(裏面) (裏一面に230名のお名前が刻まれています)
(側面) (側一面に40名のお名前が刻まれています)
小河内村略沿革
1889 明治22年4月1日 市町村制施行時、沼田郡小河内村。
1898 明治31年10月1日 高宮郡+沼田郡=安佐郡となり安佐郡小河内村となりました。
1955 昭和30年3月31日 飯室村+小河内村+久地村+鈴張村+日浦村=安佐町
1971 昭和46年5月20日 安佐郡安佐町は、広島市へ編入消滅しました。
今(2016)年8月になってから原爆関連の慰霊碑、口田地区原爆死没者供養塔、大林地区戦没者慰霊碑を巡ったのに続いて同じ安佐北区ですが、離れている久地村忠魂碑、ここ(旧)小河内村戦没者慰霊碑を息子運転の車で訪ね頭を垂れ撮影してこの頁を編集しました。 
広島市の資料(地図)にある小河内郵便局を目標建物として訪ねました。
近くにきて歩いて地図が示す位置附近を探しましたがわからず、たまたま農作業でおられた方(男性60代くらい)に原爆関連の慰霊碑が建立されていると知り訪ねたのですがわからずうろうろしているのですと云ったのですが、原爆関連の慰霊碑?と云われましたので、小河内村の忠魂碑の建立場所をご存じありませんかと表現を変えて尋ねたのです。
この村の歴史をよくご存知でお参りもされておられるのでしょう、現在の小河内郵便局の200mくらい先、川側に小公園がありその隣に建立されていますと作業の手を止め丁寧に教えていただきましたので、県道38号に戻り、先に車を進め、教えていただいていたのですぐにわかりました。
話の中で、あなたが入ってこられた処にあった建物が旧小河内郵便局舎だったのですよと教えていただきましたので、この建物も撮影しました。(別頁で編集します)
16.09.09.裕・記編集

16.08.27.撮影
広島市安佐北区安佐町小河内3439附近

16.08.27.撮影
(小河内村)戦捷紀念碑   (小河内地区戦没者)慰霊碑

16.08.27.撮影

16.08.27.撮影
慰霊碑への新しい献花が目に入りました

16.08.27.撮影

16.08.27.撮影

16.08.27.撮影

16.08.27.撮影

16.08.27.撮影
(慰霊碑の隣は小公園です)

16.08.27.撮影
小河内郵便局(安佐北区安佐町小河内3417-4)の≒200m先



「原爆関連慰霊碑等巡り」編
「平和祈念碑等建立地一覧」編


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旧小河内郵便局舎


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